福士 幸次郎(ふくし こうじろう、1889年明治22年〉11月5日[1] - 1946年昭和21年〉10月11日)は、日本の詩人、政治活動家。日本ファシズム連盟創設者。

福士幸次郎
弘前公園の詩碑

略歴

編集

青森県弘前市で、元弘前藩士の子として生まれる[1]福士氏清和源氏義光流を遠祖とする氏族である。

青森県立第三中学校(現 青森高等学校)中退[1]。1906年国民英学会入学[1]1909年(明治42年)に処女作を発表。1911年秋田雨雀の紹介で佐藤紅緑のもとに寄寓する[1]1914年(大正3年)には第一詩集『太陽の子』を上梓し[1]、口語自由詩の先駆となる。1919年、片岡梅枝と結婚[1]、弘前に一戸謙三らによる「パストラル詩社」が結成され、その指導にあたる[1]。1920年第二詩集『展望』を上梓[1]。1925年東奥義塾の国漢教師となるも翌年に辞職[1]、青森日報社の主筆となる[1]1932年(昭和7年)には日本ファシズム連盟を結成した。評論では1930年(昭和5年)に『日本音数律論』、民俗学では1942年(昭和17年)に『原日本考』を著した[1]

1946年、富山市の選挙応援の際に病気となり、同年10月11日死去[1]。墓所は江東区済生院。

佐藤紅緑と親しく、サトウハチローの後見人だった[1]。大脳生理学者・推理小説家・詩人である木々高太郎は弟子にあたり、木々は1915年に中学を卒業すると福士を師事して上京し、1918年には慶応義塾大学医学部に入学して医師になり、後に作家・詩人としても活動している。福士はヴィクトル・ユーゴーなどの翻訳もおこなった。

著書

編集
  • 『太陽の子 詩集』洛陽堂 1914
  • 『展望 詩集』新潮社 1920
  • 『詩の話』玉川学園出版部 1930
  • 『郷土と観念』育生社弘道閣 1942
  • 『原日本考』三宝書院 1942-1943
  • 『福士幸次郎著作集』小山内時雄編 津軽書房 1967

翻訳

編集
  • トルストイ叢書第2 イワンイリイッチの死・主人と下男・高架索の捕虜』新潮社 1916
  • ボナール賞讃 レオン・ウエルト 世界現代作家選』日本美術学院 1922
  • 『世紀の伝説 長詩』ユーゴー 冬夏社 1922
  • 『城主 戯曲』ユーゴー 冬夏社 1922

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 福士幸次郎”. www.city.hirosaki.aomori.jp. 弘前市. 2022年8月23日閲覧。

参考文献

編集
  • 清藤碌郎『福士幸次郎 詩業と生涯』北の街社 1989.9

関連項目

編集

外部リンク

編集