神道霊学
概要
編集例外もあるが、古神道であることを自称・自認する流派がほとんどである。
平田篤胤以降の江戸国学が単なる国文学に傾斜するのに反発し、または近代の国家神道が宗教性を忌避して国民道徳へと変貌するのに飽きたらず、篤胤の研究範囲に内在していたスピリチュアリズムの部分を追求した諸派は、その後秘教神道ともよばれ、その教義は神道霊学と称されるようになっていった。
もっとも初期の人物は本田親徳である。
その後、様々に枝分かれして多くの流派が存在した。現在でも小規模な教団として継承されているところがあるが、多くは断絶している。また、マイナーな宗教法人として存続しているある神道系の宗教団体が、実は神道霊学の中のある流派の継承団体であることがその信徒にも知られていなかったりすることもよくある。
存続している流派にしろ、教典や理論書だけが残り事実上断絶してしまった流派にしろ、実に多くの流派が存在するが、系統が異なると相互に相容れないまったく別の理論体系になっていることも多いため、特定の教えを安直に「これが神道霊学である」として語るのはまったく不適切である。このような事態は初心者にとっては混乱するが、古神道の大家として神道のあらゆる流派を渉猟、比較研究を尽くした吾郷清彦は、川面凡児・友清歓真・荒深道斉・田中治吾平を国学の四大人になぞらえて神道霊学の四大人[1]と呼び、この4流派を殊に評価し、他の雑多な流派とは区別した。この4流派には、現在でも継承団体が存在し活動している。
名称由来
編集「神道霊学」という用語を創始したのは友清歓真であり、彼自身の教説をも神道霊学と自称している。戦後、八幡書店の営業宣伝により広まったが、八幡書店では他に秘教神道[2]という用語も使っている。
注釈
編集- ^ 八幡書店のパンフ類から4人についての紹介を抜粋すると『神社本庁にも影響を与えた「禊祓行」とニューサイエンス的霊魂観、鎮魂「鳥居の伝」などの川面凡児』『壮大な陰謀論を説き魔術結社を営み三島由紀夫にも影響を与え「霊的国防」で有名な友清歓真』『九鬼文書やカタカムナにも影響を与えた「超古代史」説と巨石文明を発見し、神道版神智学ともいうべきスターシード仮説や根源人種の霊的進化論を説いた荒深道斉』『八階梯に細分した「鎮魂法」を編み出した田中治吾平』等の例がある。
- ^ "mysticism"(神秘主義)の側面を強調する場合は「秘教神道」、"occult science"(隠秘学)に力点を置いた場合は「神道霊学」というが、厳密な使い分けではなく要するに同じものである。