神宮寺 (名古屋市)

名古屋市昭和区の寺院

神宮寺(じんぐうじ)は、愛知県名古屋市昭和区御器所(ごきそ)にある真言宗豊山派の寺。山号は医王山(正式表記は醫王山)。大名古屋八十八カ所 三十六番札所。

神宮寺

医王山神宮寺
所在地 愛知県名古屋市昭和区御器所四丁目4番22号
位置 北緯35度8分42.3秒 東経136度55分25.4秒 / 北緯35.145083度 東経136.923722度 / 35.145083; 136.923722座標: 北緯35度8分42.3秒 東経136度55分25.4秒 / 北緯35.145083度 東経136.923722度 / 35.145083; 136.923722
山号 医王山
宗旨 真言宗
宗派 豊山派
本尊 薬師如来(薬師瑠璃光如来)
創建年 (伝)嘉祥3年(850年
開山 成惠僧都
開基 仁明天皇
中興年 1887年(明治20年)
中興 實定法尼
札所等 大名古屋八十八ヵ所 36番札所
法人番号 3180005001171 ウィキデータを編集
神宮寺 (名古屋市)の位置(愛知県内)
神宮寺 (名古屋市)
神宮寺 (名古屋市)の位置(名古屋市内)
神宮寺 (名古屋市)
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本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。仁明天皇勅願寺とされ、また御器所最古の寺である。

秘仏である薬師如来は毎年11月8日に開帳され、多くの参拝者で賑わう。またその日に供えられた餅やっこ餅を食べると病気患いがないと信仰されている。

歴史

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寺伝によれば、医王山神宮寺は弘仁4年(813年)に嵯峨天皇により、現在の名古屋市熱田区神宮付近に創建が計画されたといわれる。しかし、嵯峨天皇は崩御し、遺志は第二皇子である仁明天皇へ引き継がれたとされる。

承和2年(835年)仁明天皇の勅願により、嘉祥3年(850年)神宮付近に熱田神宮別当補佐職の任を受けた高野山の僧・成惠僧都により、熱田宮鬼門除け鎮護修法所として創建されたとされ、当時は嵯峨天皇の勅筆の仁王護国般若経、勅額などが納められていたとされる[1]

嘉元2年(1304年)に雷火により堂や文庫・庫裡・経蔵等が焼失したため、現在の名古屋市昭和区御器所(ごきそ)移り、草堂を建立した。また、開山より無本寺であったが、高野山金剛峯寺の末寺となる[1]

嘉吉元年(1441年)12月16日に神宮寺境内奥山に、御器所城主佐久間美作守家勝の勧進により、旧御器所村の氏神である八幡大菩薩(現在の御器所八幡宮)を迎える。当寺が禰宜兼ねることになる。

慶安3年(1650年)京都密蔵院の大僧都有海が、当時の住職となるが、再び雷火にみまわれる。住職亮海僧都の尽力と、村中を勤財し、慶安5年(1652年)2月16日に宮大工大島雲八によって本堂を再建する。後に、神宮寺学頭十五世大阿闍梨法印金憧阿闍梨と引き継がれ、明治に入り廣澤観光和上とつづくが、神仏分離令により御器所八幡宮とは分離され、廃仏毀釈により住職は還俗され無僧荒廃を辿る。

地域住民より復興を願う声があり、明治20年(1887年)1月、高野山より拝命された中興桑原實定法尼により復興[1]

昭和20年(1945年)太平洋戦争により諸堂が皆焼失する。第三世貞純法尼に至り、昭和46年(1971年)に有志の助力にて本堂が再建、昭和61年(1986年)観音堂が落慶される[1]

やっこ餅(薬壺餅)

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やっこ餅(藥壺餅)

毎年11月8日には医王山神宮寺の秘仏である薬師如来が開帳される。

薬師如来(医師の仏)の持ち物である薬壺(やっこ)に見立てつくられたやっこ餅は、

本堂に山のように供えられ、やっこ餅を食べれば、

病気や患いごとが無く過ごせると信仰されている。

一升餅祈祷会(やっこ餅祈祷会)・選び取り

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一升餅を背負う子供の絵馬(祈祷後に、手形を押し奉納する)と、子供の健やかな成長を守る御守

近年では、御開帳に合わせて、年一度やっこ餅を幼児に背負わせる一升餅祈祷会(やっこ餅祈祷会)が本堂にて行われる。

幼児に、一升餅で作られたやっこ餅を背負い七歩歩けば、一生食うに困らず、一生心を丸く、一生粘り強く、一生患いがないとされる。

一升餅祈祷が終れば、選び取りが行われ、幼児の将来の職業や才能を占う。申込みは0歳~1歳までとなっている。

昔話 - 薬師のやっこ餅 -

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むかしむかし、御器所村に身体が弱い病気がちの女が住んでいた。

女には一歳になる娘があったが、大変貧乏生活で明日も知れぬ有様であった。

女はこんなにも苦しむのは、前世からの因縁であろうと思ったが、このまま虚しく餓え死ぬよりは、善きことをして仏の加護を願ってみようと考えた。

そして、御器所村の薬師堂に詣でた。

女は薬師堂で祈ってこう言った。

「私の命を惜しむのではありません。我が子の命が惜しいのです。このままでは二人とも、餓えで死んでしまうでしょう。どうか、どうか、身体がもう少し丈夫であれば…。」と。

不憫に思った十二人の堂守(どうも)り達は、女をお堂の中に入れ、薬師如来の前で祈祷がおこなわれた。

壇の上には四十九本の蝋燭と、五色の旗が彩られ、昼夜お経が唱えられた。

そして、祈祷が始まって七日目の晩、女の夢枕に仏が現れた。

仏が女に向って近づくこと七歩。女の前に立ち「除病安楽(じょびょうあんらく)」とおっしゃり、左手の薬壺(やっこ)を差し出すではないか。

女はそれを頂くと、ふと夢から覚めた。

あくる朝「あの仏さまは、薬壺(やっこ)を持っておられた。お薬師さまに違いない。」

と女は思い、娘を連れ、薬師堂に詣でてみると、薬師如来の左手に餅がのせられていた。

女はその餅を食べてみると、病気がちの痩せ細った身体は、みるみる元気になるではないか。

一歳の娘もその餅を食すと、気立ての良く、健やかな村一番の娘に育った。

感極まった女は、再び御礼参りに、薬師堂に詣でると、十二人の堂守り達に、思いのつく限りの感謝の言葉を述べた。すると、十二人の堂守り達は「南無薬師瑠璃光如来」と申し、姿を消した。

その摩訶不思議な噂は村中に広がり、村人は薬壺(やっこ)が餅にかわったと、たいそう喜び、その餅を「やっこ餅」と名付けられた。

現在では、お薬師さまが現れた毎年十一月八日に、感謝のお勤めが続けられ、沢山の「やっこ餅」が供えられている。

境内

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  • 本堂(薬師堂)
  • 観音堂
  • 地蔵堂
  • 慈眼堂
  • 樹木葬型納骨合同墓
  • 稲荷社

いちにち寺子屋

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毎日

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お堂で写経体験(要電話予約)

毎月

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第2・4週の水曜日 19時半~21時まで 月二回のお寺で太極拳(変更日あり)

月1回 第4火曜日もしくは木曜日(変更日あり)お寺で陶芸体験

月1回 第4金曜日(変更日あり)お寺でシニア向けヨガ メディカルヨガ(自己医療を目的とするヨガ)

定例行事

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  • 毎日 10時~16時まで:お堂で写経体験
  • 毎月1日 10時半より:護摩祈祷会・大念珠繰り・法話

特別行事

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所在地

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〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所四丁目4番22号

交通手段

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公共交通機関

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自家用車

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  • 名古屋市道堀田高岳線(空港線) 白金一丁目交差点を東進、約600m(本堂裏に駐車場7台有)周辺に有料駐車場有り

脚注

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  1. ^ a b c d 『愛知県歴史全集 寺院編』愛知県史誌出版協会 1986年 68頁

参考文献

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  • 愛知県史誌出版協会編集事務局編著 『愛知県歴史全集 寺院編』 愛知県史誌出版協会 発行年:1986年
  • 名古屋市立群雲小学校編集発行 『むらくも』 五十周年記念事業運営委員会 発行年:1938年

外部リンク

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