石河忠喜
石河 忠喜(いしこ ただよし)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石河家第5代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永3年(1706年) |
死没 | 享保18年6月21日(1733年7月31日) |
改名 | 七郎(幼名)→忠喜 |
別名 | 太八郎、伊賀、隠岐(通称) |
主君 | 徳川宗春 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 石河氏(美濃石川氏) |
父母 | 父:石河正章 |
兄弟 | 忠喜、光當 |
妻 | 正室:竹腰正武の娘 |
生涯
編集宝永3年(1706年)、尾張藩家老石川正章の子として生まれる。
享保16年(1731年)6月、父正章の隠居により家督を相続し、美濃駒塚領主となる。享保17年(1732年)6月、江戸に参府し、江戸城で将軍吉宗に拝謁。同年9月、それまで「河」「川」の字を併用していた名字を「石河」と定める。
享保18年(1733年)6月21日死去。子のないまま没したため、分家興利の養子となっていた実弟の正茂(光當)が、実家に戻り家督を相続した。
参考文献
編集- 『名古屋市史』