石井ぜんじ
来歴
編集学生時代よりゲームに熱中。慶應義塾大学経済学部に入学するも中退[2]。同時期に新声社発行のアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』にて、カプコン『魔界村』の攻略記事を執筆[3]し、それを契機に同誌に携わる(のち編集長に就任)。『ストリートファイターII』のヒットにともない同誌も発行部数を伸ばし、それを契機に新声社社員となる[4]。
1999年春頃に同社を整理解雇される。以降はフリーライターとして活動し、『ゲーメスト』にも廃刊まで携わっていた[5][6]。
参加作品・著書
編集雑誌
編集- 『ゲーメスト』(1986 - 1999年、新声社)
- 『VE(VIDEOGAME EXPLORER)』Vol.01 - 03(2017 - 2019年、standards)※電子書籍
書籍
編集- 『石井ぜんじを右に! 〜元ゲーメスト編集長コラム集〜』(2015年1月31日、ホビージャパン)ISBN 978-4798609430
- 『ゲームセンタークロニクル 1972-2017』(2017年3月23日、standards)ISBN 978-4866360447
- 『ゲームに人生を捧げた男たち』(2020年5月29日、standards)ISBN 978-4866364339
- 『ライトノベルの新潮流』(2021年12月24日、standards)ISBN 978-4866365367
- 太田祥暉、松浦恵介との共著
- 『グレート・セブン・ゲームズ』(2023年2月21日、standards)ISBN 978-4866366104
漫画
編集ゲーム
編集出演
編集ゲーム
編集- 『対戦ホットギミック3 デジタルサーフィン』(彩京、1999年) - ジャンメスト 役
テレビ
編集脚注
編集出典
編集- ^ 生稲史彦、鴫原盛之、山口翔太郎「石井ぜんじ第1回インタビュー前半: ゲームの魅力を発信する仕事」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2018年2月1日、2022年12月31日閲覧。
- ^ 生稲史彦、鴫原盛之、山口翔太郎「石井ぜんじ第1回インタビュー前半: ゲームの魅力を発信する仕事」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2018年2月1日、2022年12月31日閲覧。
- ^ 生稲史彦、鴫原盛之、山口翔太郎「石井ぜんじ第1回インタビュー前半: ゲームの魅力を発信する仕事」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2018年2月1日、2022年12月31日閲覧。
- ^ 生稲史彦、鴫原盛之、山口翔太郎「石井ぜんじ第1回インタビュー後半: ゲームの魅力を発信する仕事」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2018年2月1日、2022年12月31日閲覧。
- ^ 生稲史彦、鴫原盛之、山口翔太郎「石井ぜんじ第1回インタビュー後半: ゲームの魅力を発信する仕事」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2018年2月1日、2022年12月31日閲覧。
- ^ 生稲史彦、鴫原盛之「石井ぜんじ第2回インタビュー後半: アーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』の独創的な誌面作りとアーケードゲーム論」(pdf)、一橋大学イノベーション研究センター、2019年1月、2022年12月31日閲覧。
- ^ 石井ぜんじ [@Zenji1] (2024年9月4日). "自分は1997年頃に『速攻生徒会』という対戦格闘ゲームを作りました。会社間の折衝、内部チームの取りまとめ、ゲージ・コンボ・キャンセル周りの基本システム(ここほぼすべて)、各技の基本とフレーム周り、当たり判定(2キャラ分)までやりました。実質ディレクター相当でいいのではないかと。". X(旧Twitter)より2024年9月5日閲覧。
- ^ “BS-TBS『X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏』の本日(2月1日)放送回でセガのアーケードゲームを特集! 鈴木裕らが開発の裏側を語る”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2022年2月1日). 2022年12月20日閲覧。
外部リンク
編集- 石井ぜんじ (@zenji1) - X(旧Twitter)