相馬叙胤
江戸時代前期から中期の大名
相馬 叙胤(そうま のぶたね)は、江戸時代前期から中期の大名。
相馬叙胤 | |
時代 | 江戸時代前期-中期 |
生誕 | 延宝5年4月4日(1677年5月5日) |
死没 | 宝永8年4月20日(1711年6月6日) |
改名 | 仁寿丸→佐竹義珍→叙胤 |
別名 | 求馬 |
官位 | 従五位下、図書頭、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 相馬中村藩 |
氏族 | 佐竹氏→相馬氏 |
父母 |
父:佐竹義処、母:松平直政の娘 養父:相馬昌胤 |
兄弟 | 義苗、叙胤、義格、藤堂高通養女、松平宣富正室、養真院(黒田長軌正室)、幻体院(松平宣維正室) |
妻 | 正室:相馬昌胤の娘 |
子 | 徳胤、養子:尊胤 |
概要
編集相馬氏第22代当主。陸奥相馬中村藩第6代藩主。出羽久保田藩主・佐竹義処の次男。母は出雲松江藩主・松平直政(越前松平家)の娘。正室は5代藩主・相馬昌胤の娘。子女に徳胤(三男)、養子尊胤(実父は相馬昌胤)らあり。幼名は仁寿丸。通称は求馬。諱は佐竹氏時代は義珍。後に相馬氏に入って宣胤、叙胤。後に官位は従五位下、図書頭、長門守。
経歴
編集元禄5年(1692年)12月15日、佐竹家の次男として、将軍徳川綱吉に御目見する。元禄9年(1696年)7月25日、陸奥相馬中村藩主・相馬昌胤の婿養子となる。同年7月28日、将軍徳川綱吉に御目見する。同年12月22日、従五位下図書頭に叙任する。元禄14年(1701年)2月11日、養父・昌胤の隠居にともなって、家督を相続した。宝永5年(1708年)5月15日、長門守に遷任。宝永6年(1709年)6月5日、隠居し、養子・尊胤(実父は昌胤)に家督を譲った。正徳元年(1711年)4月20日、中村において死去、35歳。
系譜
編集父母
正室
- 品姫 ー 相馬昌胤の娘
子女
- 相馬徳胤(三男)生母は品姫(正室)
養子
参考文献
編集- 『改訂増補 大武鑑 上巻』名著刊行会