田口掬汀の三男として秋田県角館町に生まれる[2][注釈 1]。麻布中学校、東京美術学校洋画科卒業[1]。在学中は藤島武二に、1923年からは石井柏亭に師事[2]。第2回中央美術社展に「薔薇」が初入選。第10回二科展に「漁夫の娘」が入選。1929年から1932年までフランス留学。1932年二科会会員に推挙。1943年8月14日、胸部疾患のため死去[1]。
息子は作家の高井有一。高井の『夢の碑』に、河西珊吾として登場する。
この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 |