琴椿克之
琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - )は、沖縄県那覇市出身、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)。最高位は西前頭3枚目(1992年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。現役時代は稽古熱心で有名であった。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在は年寄・白玉。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 渡嘉敷 克之 → 琴椿 克之 | |||
本名 | 渡嘉敷 克之 | |||
生年月日 | 1960年12月6日(64歳) | |||
出身 | 沖縄県那覇市 | |||
身長 | 188cm | |||
体重 | 147kg | |||
BMI | 41.59 | |||
所属部屋 | 佐渡ケ嶽部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭3枚目 | |||
生涯戦歴 | 530勝481敗51休(115場所) | |||
幕内戦歴 | 100勝104敗21休(15場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1976年3月場所 | |||
入幕 | 1991年1月場所 | |||
引退 | 1995年3月場所 | |||
引退後 | 年寄・白玉 | |||
備考 | ||||
2013年9月9日現在 |
来歴
編集沖縄が日本に返還されて日の浅い当時、「沖縄を大相撲畑にしたい。」と佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に口説かれた渡嘉敷少年は1976年3月場所に初土俵を踏む運びとなった。1972年5月の沖縄返還以前に大相撲へ入門した力士は過去に4人しかおらず、関取に昇進したのは琉王優貴(元前頭筆頭)ただ1人であり、これは前例の少ない試みであった。こうした境遇も関係したのか出世は遅く、幕下で苦労を経験してから10年近くかけて1985年11月場所十両に昇進した。 その場所は5勝10敗と負け越して1場所で幕下に陥落し、一時は引退を考えていた時期もあったが師匠からの「硬くならず気楽にいけ、もう一度やってみろ」という内容のアドバイスから調子を上げ、1989年9月場所に十両に復帰してからは十両に定着。 1991年1月場所に念願の入幕を果たした。幕内では怪我もあり苦戦したが、右四つからの豪快な投げを時より見せ、観客を沸かした。 1992年7月場所は最高位の西前頭3枚目にまで番付を上げ、その場所は10日目から途中休場したが、4日目に大関・霧島を下手出し投げで破っている。1992年11月場所では、東前頭14枚目と幕尻とはいえ12日目まで2敗と優勝争いに絡む活躍を見せた。しかし、13日目の若花田(後の若乃花)に押し出しで敗れた際に負傷し、休場した。 1994年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、1995年1月場所では幕下まで陥落。十両復帰を目指して同場所も相撲を取ったが、3勝4敗と負け越した。翌3月場所後に引退を表明し、年寄・白玉を借りて襲名した。一時、琴ノ若が引退の危機にあったため、年寄・山分に名跡変更したが、師匠・佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)の停年(定年)退職まで現役で取れる見込みが付いたので、2005年9月場所前に再び年寄・白玉に戻った。なお、山分に名跡変更していた間に白玉の名跡は、元前頭・蔵玉錦が襲名していたため、琴椿は14代白玉と16代白玉という珍しい事態となった。現在は部屋付き親方として後進の指導に当たっている。2007年に白玉を正式取得した。
2022年3月30日の職務分掌により、役員待遇委員に昇格。副部長として地方場所部副部長に就任した[1]。
エピソード
編集- 1992年11月場所後に故郷の沖縄県で巡業が行われたが、負傷休場により、沖縄巡業を含む11月場所後の冬巡業は欠場した。同期入門だった漫画家の琴剣が、後に(東京では放送されない)ラジオ番組でこの沖縄巡業に関するエピソードを話した。かつての同期(1976年3月場所初土俵)が「沖縄巡業だけは琴椿を参加させたい」と運動を始めたが、その動きを知った琴椿本人は「また沖縄に巡業で行くチャンスはある」と慌てて断った。後に琴椿は涙を流して同期の仲間に「ありがとう」と言ったという。ちなみに、その後現役として沖縄県の巡業に行く機会がないまま引退した。
- 1993年5月場所2日目、琴椿は新入幕の魁皇に敗れた。これが幕内初勝利になった魁皇は後に大関へ昇進し、17年後の2010年1月場所には幕内通算勝利数が歴代最多の力士となった(3日目の通算808勝で新記録を達成)。
- 十両から幕下へ陥落した1986年頃、本気で現役引退を決断し特注の背広まで用意していたという。しかし師匠の佐渡ヶ嶽親方から「もう一回頑張ってみろ」の言葉で思い直し、引退を撤回した。それから3年後十両に再び返り咲き、1991年1月場所には幕内にも昇進を果たした。1995年1月場所に幕下転落後、十両の再復帰が叶わずついに現役引退を表明したが、その後断髪式を終えた後は、かつて9年前に作っていたその特注の背広を着用していた。
主な成績
編集- 通算成績:530勝481敗51休 勝率.524
- 幕内成績:100勝104敗21休 勝率.490
- 現役在位:115場所
- 幕内在位:15場所
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1976年 (昭和51年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口9枚目 6–1 |
東序二段53枚目 2–5 |
西序二段80枚目 4–3 |
東序二段57枚目 4–3 |
1977年 (昭和52年) |
東序二段33枚目 3–4 |
西序二段41枚目 3–4 |
東序二段53枚目 5–2 |
西序二段5枚目 1–6 |
東序二段44枚目 3–4 |
東序二段52枚目 3–4 |
1978年 (昭和53年) |
東序二段62枚目 6–1 |
東序二段3枚目 1–6 |
東序二段38枚目 6–1 |
西三段目73枚目 2–5 |
東序二段13枚目 2–1–4 |
東序二段33枚目 6–1 |
1979年 (昭和54年) |
東三段目66枚目 5–2 |
西三段目38枚目 4–3 |
東三段目25枚目 2–5 |
東三段目49枚目 4–3 |
西三段目34枚目 3–4 |
東三段目47枚目 休場 0–0–7 |
1980年 (昭和55年) |
西序二段2枚目 6–1 |
東三段目35枚目 5–2 |
東三段目11枚目 3–4 |
西三段目25枚目 6–1 |
東幕下48枚目 2–5 |
西三段目8枚目 0–1–6 |
1981年 (昭和56年) |
東三段目43枚目 0–1–6 |
東三段目43枚目 4–3 |
西三段目30枚目 5–2 |
西三段目3枚目 4–3 |
西幕下51枚目 5–2 |
西幕下33枚目 4–3 |
1982年 (昭和57年) |
西幕下20枚目 2–5 |
東幕下37枚目 4–3 |
西幕下26枚目 4–3 |
東幕下21枚目 3–4 |
東幕下30枚目 3–4 |
東幕下44枚目 6–1 |
1983年 (昭和58年) |
東幕下19枚目 2–5 |
東幕下38枚目 5–2 |
東幕下21枚目 4–3 |
東幕下14枚目 3–4 |
西幕下22枚目 4–3 |
東幕下16枚目 4–3 |
1984年 (昭和59年) |
東幕下8枚目 5–2 |
東幕下2枚目 2–5 |
西幕下17枚目 4–3 |
東幕下11枚目 3–4 |
西幕下18枚目 2–5 |
東幕下41枚目 6–1 |
1985年 (昭和60年) |
東幕下18枚目 3–4 |
西幕下28枚目 5–2 |
西幕下13枚目 4–3 |
東幕下9枚目 6–1 |
西幕下筆頭 5–2 |
東十両13枚目 5–10 |
1986年 (昭和61年) |
東幕下5枚目 2–5 |
西幕下22枚目 3–4 |
東幕下35枚目 4–3 |
東幕下23枚目 4–3 |
東幕下15枚目 4–3 |
東幕下12枚目 4–3 |
1987年 (昭和62年) |
東幕下8枚目 4–3 |
東幕下5枚目 2–5 |
西幕下22枚目 5–2 |
東幕下11枚目 5–2 |
東幕下3枚目 3–4 |
東幕下7枚目 2–5 |
1988年 (昭和63年) |
東幕下22枚目 3–4 |
西幕下30枚目 6–1 |
西幕下13枚目 5–2 |
西幕下7枚目 3–4 |
東幕下13枚目 2–5 |
東幕下30枚目 4–3 |
1989年 (平成元年) |
西幕下24枚目 5–2 |
西幕下13枚目 4–3 |
東幕下9枚目 6–1 |
東幕下2枚目 6–1 |
西十両11枚目 9–6 |
東十両9枚目 8–7 |
1990年 (平成2年) |
東十両5枚目 6–9 |
西十両8枚目 8–7 |
東十両4枚目 6–9 |
東十両9枚目 9–6 |
西十両3枚目 8–7 |
西十両筆頭 8–7 |
1991年 (平成3年) |
西前頭13枚目 9–6 |
東前頭6枚目 7–8 |
西前頭9枚目 7–8 |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭8枚目 8–7 |
西前頭5枚目 4–11 |
1992年 (平成4年) |
西前頭13枚目 7–8 |
西前頭14枚目 8–7 |
東前頭9枚目 10–5 |
西前頭3枚目 5–5–5[2] |
東前頭10枚目 5–10 |
東前頭14枚目 10–4–1[3] |
1993年 (平成5年) |
東前頭9枚目 休場 0–0–15 |
東前頭9枚目 4–11 |
西十両筆頭 5–10 |
西十両7枚目 8–7 |
東十両7枚目 10–5 |
東十両3枚目 11–4 |
1994年 (平成6年) |
東前頭16枚目 7–8 |
東十両3枚目 7–8 |
西十両4枚目 6–9 |
東十両8枚目 11–4 |
東十両3枚目 5–10 |
西十両8枚目 3–10–2 |
1995年 (平成7年) |
東幕下6枚目 3–4 |
東幕下10枚目 引退 0–2–5 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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蒼樹山 | 0 | 1 | 安芸乃島(安芸ノ島) | 1 | 2 | 曙 | 0 | 1 | 旭里 | 1 | 0 |
板井 | 0 | 1 | 恵那櫻 | 1 | 2 | 巨砲 | 1 | 4 | 大若松 | 2 | 0 |
小城ノ花 | 4 | 2 | 春日富士 | 4 | 5 | 北勝鬨 | 3 | 4 | 旭道山 | 3 | 3 |
鬼雷砲 | 3 | 0 | 霧島 | 1 | 1 | 起利錦 | 4 | 3 | 久島海 | 4 | 3 |
小錦 | 0 | 1 | 逆鉾 | 3 | 2 | 陣岳 | 1 | 0 | 大輝煌 | 1 | 0 |
太寿山 | 2 | 1 | 大翔鳳 | 1 | 4(1) | 大翔山 | 3 | 2 | 大善 | 1 | 4 |
貴闘力 | 2 | 4 | 貴ノ浪 | 2 | 2 | 貴乃花(貴花田) | 1 | 3 | 孝乃富士 | 3 | 1 |
隆三杉 | 3 | 5 | 多賀竜 | 1 | 0 | 立洸 | 4 | 0 | 玉海力 | 2 | 0 |
常の山 | 1 | 3 | 寺尾 | 1 | 2 | 時津洋 | 3 | 1 | 栃司 | 1 | 0 |
栃乃藤 | 0 | 1 | 栃乃和歌 | 0 | 4 | 巴富士 | 4 | 3 | 豊ノ海 | 3 | 3 |
浪之花(浪ノ花) | 0 | 2 | 花ノ国 | 1 | 1 | 濱ノ嶋 | 0 | 1 | 肥後ノ海 | 1 | 0 |
日立龍 | 0 | 1 | 舞の海 | 5 | 1 | 三杉里 | 2 | 3(1) | 水戸泉 | 3 | 4 |
両国 | 5 | 2 | 若翔洋 | 1 | 2 | 若瀬川 | 4 | 3 | 若乃花(若花田) | 1 | 3 |
和歌乃山 | 1 | 1 |
改名歴
編集- 渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)1976年3月場所
- 琴椿 克之(ことつばき-)1976年5月場所~1995年3月場所
年寄変遷
編集- 白玉 克之(しらたま-)1995年3月~2003年9月
- 山分 克之(やまわけ-)2003年9月~2005年8月
- 白玉 克之(しらたま-)2005年8月~
関連項目
編集脚注
編集- ^ 「日本相撲協会職務分掌」『』。2022年3月30日閲覧。
- ^ 右膝関節捻挫により10日目から途中休場
- ^ 右膝外側側副靱帯損傷により14日目から途中休場
外部リンク
編集- 琴椿 克之 - 日本相撲協会