玉沢村
日本の宮城県栗原郡にあった村
玉沢村(たまさわむら)は、1954年(昭和29年)まで宮城県栗原郡南東部にあった村。現在の栗原市築館のうち太田・照越・萩沢・八沢・横須賀を冠する各字などにあたる。
たまさわむら 玉沢村 | |
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廃止日 | 1954年8月10日 |
廃止理由 |
新設合併 玉沢村、築館町、富野村、宮野村 → 築館町 |
現在の自治体 | 栗原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 栗原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 33.62 km2 |
総人口 |
5,413人 (『宮城県町村合併誌』、1954年8月9日) |
隣接自治体 |
栗原郡:築館町、一迫町、瀬峰町、志波姫村、畑岡村、清滝村 登米郡:新田村 |
玉沢村役場 | |
所在地 | 宮城県栗原郡玉沢村 |
座標 | 北緯38度42分56秒 東経141度02分15秒 / 北緯38.71561度 東経141.03739度座標: 北緯38度42分56秒 東経141度02分15秒 / 北緯38.71561度 東経141.03739度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集行政
編集- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 三塚甚吉 | 1893年(明治26年)4月21日 | 1894年(明治27年)2月21日 | |
2 | 三塚甚平 | 1894年(明治27年)6月1日 | 1896年(明治29年)5月11日 | |
3 | 渋谷仙右衛門 | 1896年(明治29年)6月18日 | 1899年(明治32年)8月28日 | |
4 | 相馬龍左衛門 | 1899年(明治32年)9月21日 | 1899年(明治32年)10月4日 | |
5 | 南条宗三郎 | 1900年(明治33年)10月16日 | 1903年(明治36年)6月28日 | |
6 | 相馬民作 | 1903年(明治36年)8月6日 | 1904年(明治37年)3月2日 | |
7 | 藤田左治郎 | 1904年(明治37年)3月30日 | 1908年(明治41年)3月29日 | |
8 | 曾根喜四郎 | 1908年(明治41年)4月21日 | 1911年(明治45年)4月20日 | |
9 | 三浦茂三郎 | 1911年(明治45年)5月11日 | 1916年(大正5年)5月10日 | |
10 | 南条宗三郎 | 1917年(大正6年)1月27日 | 1919年(大正8年)11月3日 | 再任 |
11 | 藤田権四郎 | 1919年(大正8年)12月12日 | 1926年(大正15年)6月2日 | |
12 | 三塚豊治 | 1927年(昭和2年)10月6日 | 1929年(昭和4年)2月15日 | |
13 | 千葉治左衛門 | 1929年(昭和4年)3月4日 | 1932年(昭和7年)8月13日 | |
14 | 相馬宗一郎 | 1932年(昭和7年)8月18日 | 1933年(昭和8年)12月18日 | |
15 | 藤田権四郎 | 1933年(昭和8年)12月28日 | 1937年(昭和12年)11月27日 | 再任 |
16 | 曾根斐治 | 1938年(昭和13年)1月10日 | 1946年(昭和21年)12月30日 | |
17 | 白鳥貞策 | 1947年(昭和22年)1月1日 | 1947年(昭和22年)3月1日 | |
18 | 大場松四郎 | 1947年(昭和22年)4月8日 | 1953年(昭和28年)3月31日 | |
19 | 藤田規雄 | 1953年(昭和28年)4月30日 | 1954年(昭和29年)8月9日 |
産業
編集鉱業
編集第二次世界大戦の前後に照越鉱山が稼働。東北地方の代表的な亜炭鉱山であった。1947年(昭和22年)に昭和天皇が行幸した際には、天皇が車中から貯炭状況を視察し、鉱山関係者からの奉迎を受けた[1]。
脚注
編集- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、397頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
参考文献
編集- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)