玉松真幸
玉松 真幸(眞幸、たままつ まさき、1859年4月13日(安政6年3月11日[1])- 1907年(明治40年)5月26日[1][2])は、明治期の国学者[3][4]、本草家[4]、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・山本、旧名・永丸[1]。
経歴
編集山城国京都で右近衛権中将・山本実政の二男として生まれる[1]。1872年3月20日(明治5年2月12日)、従伯父・玉松真弘(操)の隠居に伴い養子となり家督を相続[1][4][5]。1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][5][6]。
1882年(明治15年)京都宮殿勤番となり、1883年(明治16年)に殿掌に就任した[2]。1890年(明治23年)7月、貴族院男爵議員に選出されたが辞退した[7]。1895年(明治28年)5月20日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、死去するまで3期在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』〔初版〕、1903年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 刑部芳則『京都に残った公家たち:華族の近代』歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、2014年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 玉松家初代 1884年 - 1907年 |
次代 玉松公秋 |