猪甘津橋
猪甘津橋(いかいつのはし)は、『日本書紀』に記述されている橋。後継の橋は存在していないが、文献で登場する木造橋としては日本最古[1]。
概要
編集『日本書紀』の仁徳天皇14年(326年?)の条に「猪甘津に橋わたす」との記述があり[2]、少し北に「小橋の江」と呼ばれた入江があり、入江に半島のように突き出ていた上町台地の東側に沿って百済川(旧・平野川)が注ぎ込み、河口付近に「猪甘津」と呼ばれた港が栄えていた。 橋のあった場所については諸説あるが、猪飼野(現・大阪市生野区桃谷付近)の百済川に架けられていたものと推定されている[1][3]。
この場所には江戸時代以降、旧平野川のこの橋に鶴が良く飛んできていたので鶴橋(つるのはし)と命名されてきた橋が架けられていた[1]。だが、昭和15年(1940年)に河川改修工事のため川は埋め立てられ、つるの橋はなくなったが、1952年(昭和27年)に橋が存在した場所(桃谷三丁目)に「つるのはし跡」の記念碑が建てられた[4]。
しのぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めし ゐかひ津の橋
(忍んではいても、人がそれだと見ているなかを、はじめて猪甘津の橋を渡った) — 小野小町、(武部健一『道路の日本史』より引用)
平安時代前期の歌人、小野小町がこの橋を詠んだといわれる歌があり、江戸時代の寛政年間(1789 - 1801年)に出版された『摂津名所図会』に載っている[1]。だが、『小町歌集』には記載がないため幻の歌だといわれている[1]。
出典
編集参考文献
編集- 武部健一『道路の日本史』中央公論新社〈中公新書〉、2015年5月25日、25-26頁。ISBN 978-4-12-102321-6。