物部神社 (大田市)
物部神社(もののべじんじゃ)は、島根県大田市にある神社。式内社、石見国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
物部神社 | |
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境内全景。社殿背後は八百山。 | |
所在地 | 島根県大田市川合町川合1545 |
位置 | 北緯35度9分18秒 東経132度30分48.5秒 / 北緯35.15500度 東経132.513472度座標: 北緯35度9分18秒 東経132度30分48.5秒 / 北緯35.15500度 東経132.513472度 |
主祭神 | 宇摩志麻遅命 |
社格等 |
式内社(小) 石見国一宮 旧国幣小社 別表神社 |
創建 | (伝)継体天皇8年(514年?) |
本殿の様式 | 春日造変形 |
例祭 | 10月9日 |
主な神事 |
奉射祭(1月7日) 鎮魂祭(11月24日) |
地図 |
概要
編集宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、石上神宮および彌彦神社と共に有名である。ただし宮中が行う11月22日でなく、11月24日に行われる。
祭神の宇摩志麻遅命が石見国に鶴に乗って降臨したとも伝えることから、当社の神紋は赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴(ひおいづる)」となっている。また、宇摩志麻遅命は大日本帝国海軍の戦艦「石見」の守護神とされ、神像が艦内に祀られていた。この神像は後に当社へ奉納されている。
祭神
編集歴史
編集社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。
神階は貞観11年(869年)に正五位下に叙され、同17年(875年)に正五位上に、元慶元年(879年)に従4位下に[1]、天慶4年(941年)に従四位上に[2]昇叙した。延喜式神名帳では小社に列し、石見国一宮として歴代領主の崇敬を受けた。
社家については、景行天皇の時代に物部竹子連が石見国造に任ぜられ、その子孫は川合長田公を名乗り代々祭祀を行っていたというが、文治4年(1184年)金子家忠が安濃郡の地頭として赴いたときに子の道美が取って代わって当社の神主となり、以降金子氏が代々の祭祀を行うようになったという[3]。戦前に金子氏は出雲大社の千家・北島両家や、日御碕神社社家(島根県出雲市大社町)の「小野家」と並び、全国14社家の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。
境内
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社名標と鳥居
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拝殿 昭和13年(1938年)の建立。
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御腰掛岩 宇摩志麻遅命が天下った祭に腰掛けられたと伝えられる。昭和56年(1981年)道路拡張に伴い、本来あった折居田から保存のため境内に移された。
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御神墓 八百山の山中にある古墳で宇摩志麻遅命の墓であると伝えられている。
摂末社
編集境内社
編集- 摂社
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- 後神社
- 主祭神の妃神の師長姫命(しながひめのみこと)を祀る。
- 末社
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- 神代七代社
- 東五社ともいう。神世七代の各神を祀る。
- 荒経霊社(あらふつみたましゃ)
- 須佐之男尊を祀る。
- 皇祖四代社
- 西五社ともいう。天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊を祀る。
- 須賀見神社
- 主祭神の3代目の子孫で兄の六見宿禰命(むつみのすくねのみこと)を祀る。
- 乙見神社
- 六見宿禰命の弟の三見宿禰命(みつみのすくねのみこと)を祀る。
- 一瓶社(いっぺいしゃ)
- 佐比売山三瓶大明神を祀る。
- 柿本神社
- 柿本人麿朝臣を祀る。
- 菅原神社
- 菅原道真公を祀る。
- 稲荷神社
- 稲倉魂命を祀り、大穴牟遅命、大年神、大地主神(おおとこぬしのかみ)を合祀する。
- 粟島神社
- 少彦名命を祀る。
- 八重山神社
- 伊邪那美命、大山祇神、若布都主神(わかふつぬしのかみ)を祀る。農耕、牛馬の守護神とされる。
境外社
編集祭事
編集日程は特殊神事のある日のみ示す。
文化財
編集島根県の文化財[4]より。
重要文化財(国指定)
編集その他
編集現地情報
編集脚注
編集参考文献
編集- 谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地 7 山陰』(新装復刊、白水社、2000年 ISBN 978-4-560-02507-9)
関連項目
編集外部リンク
編集- 物部神社(公式サイト)