片倉景光
片倉 景光(かたくら かげみつ、安政6年5月13日(1859年6月13日)-1911年(明治44年)9月3日)は、旧仙台藩家老・白石片倉家第14代当主。キリスト教徒(日本基督一致教会の信徒)[1]。父は13代景範。妻は赤城信一の長女・タケ(竹子)。娘婿は青葉神社宮司である健吉。
略歴
編集安政6年(1859年)5月13日、陸奥国刈田郡白石城にて生まれる。1870年(明治3年)5月、胆振国幌別郡に移住する。1880年(明治13年)10月7日、片倉家の家督を相続する。同年10月27日、会津藩洋医師赤城信一の長女で、聖公会の信徒であるタケ(竹子)と結婚する。1886年(明治19年)、押川方義から洗礼を受け、日本基督一致教会の信徒となる[1]。
1898年(明治31年)7月20日、旧家臣らの嘆願もあり、開拓の功績が認められたことから、華族に列せられ男爵を授けられる[2]。1911年(明治44年)、幌別村より宮城県白石町に帰郷する。同年9月3日、死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本聖公会歴史編集委員会編『あかしびとたち―日本聖公会人物史』日本聖公会出版事業部、1974年
- 福島恒雄『北海道キリスト教史』日本基督教団出版局、1982年
関連項目
編集日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 (白石)片倉家初代 1898年 - 1910年 |
次代 片倉健吉 |