渡久地政信
日本の歌手、作曲家 (1916-1998)
渡久地 政信(とくち まさのぶ、1916年(大正5年)10月26日 - 1998年(平成10年)9月13日)は、日本の歌手、作曲家。
渡久地 政信 | |
---|---|
1956年頃の渡久地政信 | |
基本情報 | |
別名 | 貴島正一・藤村茂夫 |
生誕 | 1916年10月26日 |
出身地 | 日本 沖縄県国頭郡恩納村 |
死没 | 1998年9月13日(81歳没) |
学歴 | 日本大学藝術学部 |
職業 | 作曲家 |
人物
編集沖縄県国頭郡恩納村に生まれ、少年期を鹿児島県の奄美大島龍郷町で過ごす。日本大学藝術学部卒業後、1943年(昭和18年)、日本ビクターレコードより貴島正一の名で歌手デビュー。歌手時代は売れず、津村謙の前座を務めていたこともあった。津村は後に渡久地が作曲した『上海帰りのリル』で大ヒットを飛ばすことになる[1]。
1951年(昭和26年)よりキングレコード専属の作曲家に転身(後に古巣のビクターに移籍)。以後、『上海帰りのリル』、『お富さん』、『島のブルース』など数多くのヒット曲を手掛ける。中山晋平メロディーが日本民謡、古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているのに対し、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしているといわれる。
1998年9月13日、肺炎のため死去。81歳没。没後、第40回日本レコード大賞特別功労賞が贈られている[2]。
主な作品
編集歌謡曲
編集- 青江三奈
- 大津美子
- 東京アンナ(1955年10月)
- 小畑実
- りんどう日記(1957年)
- こころにユトリが湧いて来た(1957年)
- 湯の町しぐれ/流し唄(1976年)
- 星のない渚/はまゆうの道(1977年)
- 青いたそがれ(1977年)
- 春日八郎
- 津村謙
- 上海帰りのリル(1951年8月)
- 東京の椿姫(1951年12月)
- リルを探してくれないか(1952年)
- 待ちましょう(1953年)
- 終着駅に灯がともる(1955年2月)
- 中村メイコ
- 東京チャキチャキ娘(1956年2月)
- フランク永井
- 東京踊り(1958年2月)
- 俺は淋しいんだ(1958年11月)
- 夜霧に消えたチャコ(1959年3月)
- 冷いキッス(1959年7月)
- 林檎ッコ
- 松島アキラ
- 湖愁(1961年9月)
- 三浦洸一
- 踊子(1957年9月)
- 三沢あけみ・和田弘とマヒナスターズ
- 島のブルース(1963年4月)
- 三沢あけみ
- 私も流れの渡り鳥(1963年8月)
- わかれ酒(1979年9月)
- 三橋美智也
- 島の船唄(1955年11月)
- 若原一郎
- 吹けば飛ぶよな(1954年11月)
- 和田弘とマヒナスターズ
- お百度こいさん
- 潮来船頭さん
その他
編集- 沖縄尚学高等学校校歌
脚注
編集出典
編集- ^ 塩澤実信「歌に残る“アメリカ占領の影”」『昭和の流行歌物語―佐藤千夜子から笠置シズ子、美空ひばりへ』展望社、2011年。ISBN 978-4885462313。
- ^ 第40回日本レコード大賞 日本作曲家協会