清津青年駅
朝鮮民主主義人民共和国の鉄道駅
清津青年駅(チョンジンチョンニョンえき)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市に位置する朝鮮民主主義人民共和国鉄道庁平羅線の駅である。
清津青年駅 | |
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清津駅で待望の列車(昭和八年) | |
청진청년 チョンジンチョンニョン Chongjin Chongnyon | |
所在地 | 咸鏡北道清津市 |
所属事業者 | 朝鮮民主主義人民共和国鉄道省清津鉄道総局 |
電報略号 | セシ[1] |
ホーム | 地上駅 |
開業年月日 | 1916年11月5日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 平羅線 |
キロ程 | 720.7 km(平壌起点) |
◄水南 (2.7 km) (3.1 km) 青岩► | |
所属路線 | 咸北線 |
キロ程 | 0.0 km(当駅起点) |
(3.1 km) 青岩► | |
所属路線 | 清津港線 |
キロ程 | 0.0 km(当駅起点) |
(2.0 km) 清津港駅► |
清津青年駅 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 청진청년역 |
漢字: | 淸津靑年驛 |
発音: | チョンジンチョンニョンニョク |
日本語読み: | せいしんせいねんえき |
英語: | Chongjin Chongnyon station |
概要
編集1916年11月5日に清津駅(せいしんえき)として開業した。開業当初は清津駅の隣の輸城駅[2]でスイッチバックをしないと清津駅に進入できない構造となっていたが、1940年(昭和15年)7月1日に改良工事が行われ、清津駅は場所を移転し、スイッチバックなしで南北を行き来することが可能となった。なお、この時に古い清津駅は清津港駅と改称され、1943年(昭和18年)6月1日からは更に清津埠頭駅と改称された。
戦後、清津埠頭駅は廃止され、清津駅は清津青年駅と改称された。清津青年駅の近隣には清津港があり、主要工業地区から輸送される中継貨物の取扱量は多く、貨車や各種鉄道部品を生産する清津鉄道工場とも隣接している。
脚註
編集- ^ 日本統治時代南満州鉄道北鮮西部線
- ^ 現在では輸城駅との間に青岩駅が設けられている。
参考文献
編集- 国分隼人(2007年). 『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』, 新潮社. ISBN 9784103037316