深沢索一
大正から昭和期にかけての版画家
深沢 索一(ふかざわ さくいち、1896年9月4日 - 1947年1月12日[1])は、日本の版画家[1]。新潟県出身。京都中央商業学校卒[1]。
経歴
編集深沢索一は明治29年(1896年)9月4日に新潟県西蒲原郡巻町(現在の新潟市西蒲区)[1]に生まれ、大正元年(1912年)に家族で上京。初めは小説家を志していたが、大正10年(1921年)に諏訪兼紀(1897年 - 1932年)と出会い、木版画に道を定める[2]。大正11年(1922年)第4回日本創作版画協会展に入選し、このほか日本版画協会、春陽会、日展などに出品[1]。風景画を得意とし[3]、浅彫りを多用とした独特の作風で[2]、多色木版やモノクロ木版による作品を相次いで発表した。他にも随筆集の装丁も手掛けたりした[3]。昭和22年(1947年)1月12日死去、享年50。
主な作品
編集作品集
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 遠景に描かれた橋梁は、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)荒川橋梁とされている。
- ^ 『新東京百景』は1929年から1932年にかけて卓上社(恩地・諏訪らにより1928年結成)が不定期で1作につき会員限定で50部ずつ配布したものだったため、戦時中の混乱もあって100作全てが現存するかどうかは厳しい状況だったようである。しかし、1976年に東京都美術館が『新東京百景』の版画の完揃いを入手したことから、1978年に復刻したものが、平凡社より限定330部で販売された[6]。なお、戦前の版画で全作が揃っているケースは、東京都現代美術館所蔵の他に、アメリカのカーネギー美術館やロンドンのコレクター所有のものがある[7]。