浦上 清宗(うらがみ きよむね)は、戦国時代の武将。
浦上政宗の次男として誕生。
永禄7年(1564年)1月11日、黒田職隆の娘を室に迎える婚礼当日、あるいは婚礼当日の夜に、置塩城主・赤松晴政(『備前軍記』による)[2]の攻撃をうけ、室山城にて父・政宗と共に討死した。妻は城主を継いだ弟・誠宗に再嫁している。
ただし、没年を弘治2年(1556年)とする説もある。