北陸鉄道浅野川線

石川県金沢市から河北郡内灘町を結ぶ北陸鉄道の鉄道路線
浅野川線から転送)

浅野川線(あさのがわせん)は、石川県金沢市北鉄金沢駅から同県河北郡内灘町内灘駅間を結ぶ北陸鉄道鉄道路線。浅野川電気鉄道を前身とすることから今でも浅電(あさでん)の愛称で呼ばれている。

浅野川線
大野川を渡る浅野川線の03系電車
大野川を渡る浅野川線の03系電車
(2022年7月 粟ヶ崎駅 - 蚊爪駅間)
概要
起終点 起点:北鉄金沢駅
終点:内灘駅
駅数 12駅
路線記号 A
運営
開業 1925年5月10日 (1925-05-10)
所有者 浅野川電気鉄道→北陸鉄道
使用車両 車両を参照
路線諸元
路線総延長 6.8 km (4.2 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
運行速度 最高60km/h[1]
路線図
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停車場・施設・接続路線
uexSTR uexSTR
金沢市内線
exSTR+l exSTRq
中:金沢駅前停留所/右:六枚町停留所
xABZg+l tSTRaq
uexSTRl uexSTRr
0.0 A01 北鉄金沢駅
KRZu STRq
STRq STRq
金沢駅 JR西日本北陸新幹線
KRZu STRq
STRq STRq
IRいしかわ鉄道線
STR
中橋駅
STR exSTRl
金石線
BHF
0.6 A02 七ツ屋駅
BHF
1.5 A03 上諸江駅
BHF
2.2 A04 磯部駅
SKRZ-Au
北陸自動車道
BHF
2.8 A05 割出駅
BHF
3.3 A06 三口駅
BHF
3.9 A07 三ツ屋駅
BHF
4.5 A08 大河端駅
BHF
5.1 A09 北間駅
BHF
5.5 A10 蚊爪駅
eBHF
新須崎駅 -1961
hKRZWae
大野川橋梁 大野川
BHF
6.3 A11 粟ヶ崎駅
KBHFxe
6.8 A12 内灘駅
exKBHFe
8.1 粟ヶ崎海岸駅

路線データ

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  • 路線距離(営業キロ):6.8km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:12駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:60km/h[1]

歴史

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浅野川電気鉄道
 
種類 株式会社
本社所在地   日本
石川県河北郡内灘村字向粟崎ト13ノ49[2]
設立 1924年(大正13年)1月23日[2]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、倉庫業、不動産、ケーブルカー、海水浴場、温泉経営、遊船貸船、自動車運輸、食堂業、遊園地業[2]
代表者 社長 藍元義範[2]
資本金 540,000円(払込額)[2]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[2]
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浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)によって開業した路線である。富山県経済人を中心とする金沢堀川電気鉄道が先願していたが[3]、金沢市の平沢嘉太郎を中心とする石川県政財界人が出願した浅野川電気鉄道に対し1923年5月に鉄道敷設免許状が下付された。1925年5月10日に七ツ屋駅 - 新須崎駅(1961年廃止、現在の蚊爪駅 - 粟ヶ崎駅間に位置)間5.3km、翌年5月18日に金沢駅前駅(現在の北鉄金沢駅) - 七ツ屋駅間0.8km、1929年7月14日に新須崎駅 - 粟ヶ崎海岸駅間2.4kmを開業した[4]。浅電は1925年に粟崎遊園を開設し、粟ヶ崎遊園前駅をその近くに設置して利用者の便を図るなど、阪急電鉄に倣った多角経営を行っていた(遊園地は浅電社長に就任した平沢嘉太郎個人の事業として開園したが、後に浅電が引き継いだ)。

しかし、第二次世界大戦に突入すると、粟ヶ崎遊園地は軍の宿営地となり、粟崎遊園前駅 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路も接収された。さらに、戦時統合で北陸鉄道(北鉄)に合併することが決まったが、当時の社長の藍元義範は合併条件を不満として拒否した。結局、社長を刑事事件で逮捕[5]した後の1945年に北鉄に合併され、同社の浅野川線となった。

戦後の1952年、粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路は復旧され[4]、北鉄金沢市内線(1967年廃止)との直通運転も行われた。同時期に内灘砂丘米軍試射場が作られる計画があがり、物資・人員輸送の専用線として粟ヶ崎遊園前駅から内灘砂丘方面に延伸された。しかし、内灘闘争の結果、1957年に返還となり専用線も廃止された。この路線は、後に移設する内灘駅に利用された。その後、1974年に港湾整備などのため内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間が廃止された(ただし、粟ヶ崎遊園前(内灘) - 粟ヶ崎海岸駅間は夏季の海水浴シーズン中のみであり、1972年8月31日が最終運転である)[4]

2001年に北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化された[6]。地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。それに伴い1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し[7][6]、同時にワンマン運転を開始した[8]。地方私鉄路線の地下化は長野電鉄長野線に次いで2例目となった。

年表

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運行形態

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すべて北鉄金沢駅 - 内灘駅間の運転である。1時間におおむね2 - 3本運行されており、朝夕は約22分間隔、日中は30分間隔で運行されている。北鉄金沢駅 - 内灘駅間の所要時間は普通列車で17分である[35]。2021年4月1日改正時点の内灘駅の始発は5時33分、北鉄金沢駅の終電は23時である[36]

2012年4月1日の改正で内灘駅の始発が6時から5時40分に繰り上げられ、北鉄金沢駅の終電も毎日23時に統一された。2015年3月14日の改正で、北陸新幹線金沢駅始発列車に接続させるため、さらに始発が繰り上がった。2017年4月1日からは土日祝日にも2往復増加、これにより平日と共通の「全日ダイヤ」に移行した。

以前はほぼ1駅おきに停車する急行が夜間を除いて(日中の半数が中心)運転されていたが、2006年(平成18年)12月1日のダイヤ変更で廃止され、全列車普通となった[29]。途中停車駅は上諸江駅割出駅三ツ屋駅蚊爪駅で、北鉄金沢駅 - 内灘駅間の所要時間は14分であった[35]

なお、金沢市では北陸鉄道石川線との直通延伸が計画されていたこともあった。北陸新幹線が開通してからは再度都市交通の必要性が議論され、一部で計画を持ち上げる動きがある[要出典]

利用状況

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輸送実績

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浅野川線の輸送実績を下表に記す[37][38]。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年度 輸送実績(乗車人員):万人 輸送密度
人/日
輸送実績
(発送貨物)

:トン

特記事項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1946年(昭和21年) 49.4 187.5 236.9      
1950年(昭和25年) 98.2 130.2 238.3   9,770  
1955年(昭和30年) 123.0 117.3 240.3   5,518  
1960年(昭和35年) 172.7 128.9 301.6      
1965年(昭和40年) 209.3 122.3 331.6   20,000  
1966年(昭和41年) 219.1 127.0 346.0   56,882  
1967年(昭和42年) 227.7 130.7 358.4   19,883  
1968年(昭和43年) 230.9 127.8 358.7   3,124  
1969年(昭和44年) 242.6 125.5 368.1   6,578  
1970年(昭和45年) 220.5 117.4 337.9   4,922  
1971年(昭和46年) 213.8 118.8 332.6   3,872  
1972年(昭和47年) 205.9 121.3 327.2   112  
1973年(昭和48年) 171.4 125.4 296.8      
1974年(昭和49年) 164.6 128.2 292.7      
1975年(昭和50年) 150.2 125.4 275.6      
1976年(昭和51年) 145.4 131.6 277.0      
1977年(昭和52年) 75.9 68.5 130.8 275.3 5,011    
1978年(昭和53年) 72.7 69.4 119.4 261.7 4,771    
1979年(昭和54年) 63.7 60.4 119.6 243.7 4,495    
1980年(昭和55年) 62.9 61.2 125.0 249.3 4,821    
1981年(昭和56年) 59.5 56.3 123.1 239.0 4,565    
1982年(昭和57年) 57.3 47.9 124.6 229.8 4,482    
1983年(昭和58年) 57.9 47.3 121.8 226.9 4,517    
1984年(昭和59年) 51.6 46.9 114.0 212.5 4,304    
1985年(昭和60年) 49.0 53.3 116.3 218.6 4,482    
1986年(昭和61年) 46.9 54.8 100.0 211.7 4,410    
1987年(昭和62年) 45.6 56.0 103.0 204.6 4,304    
1988年(昭和63年) 44.4 54.8 103.5 202.7 4,277    
1989年(平成元年) 41.9 55.0 96.8 193.7 4,115    
1990年(平成2年) 43.8 58.6 94.8 197.2 4,212    
1991年(平成3年) 41.7 61.5 95.9 199.1 4,252    
1992年(平成4年) 39.7 60.7 96.5 196.9 4,193    
1993年(平成5年) 35.4 57.9 97.8 191.1 4,062    
1994年(平成6年) 34.5 58.6 92.3 185.4 3,952    
1995年(平成7年) 32.4 56.7 92.4 181.5 3,834    
1996年(平成8年) 31.5 56.6 94.1 182.2 3,909    
1997年(平成9年) 31.2 59.6 93.4 184.2 3,949    
1998年(平成10年) 29.7 58.1 89.6 177.4 3,773    
1999年(平成11年) 28.2 55.5 87.6 171.3 3,607    
2000年(平成12年) 27.4 53.2 83.5 164.1 3,476   北鉄金沢 - 七ツ屋間地下化
2001年(平成13年) 25.0 54.2 83.4 162.6 3,441    
2002年(平成14年) 29.1 51.8 80.9 158.4 3,337    
2003年(平成15年) 27.9 50.3 75.5 153.7 3,288    
2004年(平成16年) 26.9 48.8 70.9 146.6 3,145    
2005年(平成17年) 26.8 49.8 72.8 149.4 3,181    
2006年(平成18年) 27.9 50.2 71.9 150.0 3,213    
2007年(平成19年) 28.8 52.5 71.5 152.8 3,289    
2008年(平成20年) 29.2 56.1 67.7 153.0 3,316    
2009年(平成21年) 27.9 52.6 67.0 147.5 3,177    
2010年(平成22年) 28.1 50.2 65.2 143.5 3,060    
2011年(平成23年) 27.2 50.2 65.1 142.5 2,999    
2012年(平成24年) 27.4 52.8 66.3 146.5 3,100    
2013年(平成25年) 29.0 54.0 70.1 153.1 3,253    
2014年(平成26年) 29.9 53.1 69.8 152.8 3,274   2015年3月14日、北陸新幹線金沢開業
2015年(平成27年) 31.9 56.3 76.2 164.4 3,524    
2016年(平成28年) 33.5 56.4 76.3 166.3 3,579    
2017年(平成29年) 36.0 58.7 80.6 175.3 3,760    
2018年(平成30年) 36.8 59.1 80.7 176.6 3,780    
2019年(令和元年) 38.5 58.5 79.3 176.3 3,739    
2020年(令和2年) 31.4 40.7 54.5 126.6 2,645    
2021年(令和3年) 32.4 47.7 57.3 137.4      
2022年(令和4年) 34.5 48.9 67.1 150.5      
2023年(令和5年) 36.8 48.6 74.2 159.6      

収入実績

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浅野川線の近年の収入実績を下表に記す[37][38]。旅客運賃収入は1991年(平成3年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別収入実績
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1977年(昭和52年) 109,730 ←←←← 161,940 892 272,562 4,405 276,968
1978年(昭和53年) 125,563 ←←←← 176,809 635 303,008 5,468 308,476
1979年(昭和54年) 123,846 ←←←← 188,149 527 312,522 5,876 318,399
1980年(昭和55年) 126,426 ←←←← 196,473 572 323,471 6,363 329,835
1981年(昭和56年) 120,905 ←←←← 194,140 547 315,592 5,756 321,349
1982年(昭和57年) 115,861 ←←←← 196,104 410 312,375 6,356 318,731
1983年(昭和58年) 122,965 ←←←← 200,678 323 323,966 5,689 329,655
1984年(昭和59年) 119,907 ←←←← 196,453 277 316,637 6,595 323,232
1985年(昭和60年) 130,691 ←←←← 212,658 216 343,565 6,643 350,208
1986年(昭和61年) 138,746 ←←←← 217,640 198 356,584 6,969 363,553
1987年(昭和62年) 66,859 73,793 210,766 198 351,616 7,730 359,346
1988年(昭和63年) 67,869 75,006 217,944 149 360,968 6,905 367,873
1989年(平成元年) 66,216 73,982 208,290 0 348,488 7,910 356,398
1990年(平成2年) 71,482 79,797 213,700 0 364,979 7,778 372,757
1991年(平成3年) 68,222 84,732 212,040 0 364,994 8,316 373,310
1992年(平成4年) 64,271 82,955 213,757 0 360,983 8,060 369,043
1993年(平成5年) 57,337 79,125 216,469 0 352,931 8,417 361,348
1994年(平成6年) 55,823 79,565 204,448 0 339,836 8,459 348,295
1995年(平成7年) 52,282 76,599 203,371 0 332,252 5,818 338,070
1996年(平成8年) 51,644 77,689 207,738 0 337,071 6,913 343,984
1997年(平成9年) 50,766 81,355 204,561 0 336,682 5,103 341,785
1998年(平成10年) 48,970 78,852 195,589 0 323,411 3,969 327,380
1999年(平成11年) 46,585 74,620 191,208 0 312,413 3,855 316,268
2000年(平成12年) 45,306 71,560 181,841 0 298,707 3,372 302,079
2001年(平成13年) 40,756 73,945 181,074 0 295,775 7,182 302,957
2002年(平成14年) 45,250 70,708 168,477 0 284,435 8,284 292,719
2003年(平成15年) 43,395 68,131 164,569 0 276,095 12,538 288,633
2004年(平成16年) 41,343 65,585 153,927 0 260,855 12,151 273,006
2005年(平成17年) 41,086 65,077 156,731 0 260,894 11,439 274,333
2006年(平成18年)              
2007年(平成19年)              
2008年(平成20年)              
2009年(平成21年) 43,787 59,619 145,825 0 249,232 12,070 261,302
2010年(平成22年)              
2011年(平成23年)              
2012年(平成24年) 41,526 59,791 137,891 0 239,208 4,853 244,061
2013年(平成25年) 44,262 61,257 141,284 0 246,803 5,493 252,296
2014年(平成26年) 45,540 61,752 137,565 0 244,857 5,429 250,287
2015年(平成27年) 48,859 66,472 149,164 0 264,495 7,498 271,992
2016年(平成28年) 50,521 67,073 149,321 0 266,916 6,077 272,993
2017年(平成29年) 54,361 70,097 156,836 0 281,294 5,590 286,884
2018年(平成30年) 55,643 70,357 155,797 0 281,797 5,609 287,406
2019年(令和元年) 59,422 70,368 158,718 0 288,508 4,864 293,372
2020年(令和2年) 50,980 52,573 116,505 0 219,609 4,996 224,605
2021年(令和3年) 51,837 62,507 122,438 0 236,782 5,363 242,115
2022年(令和4年) 54,892 63,128 144,337 0 262,357
2023年(令和5年) 58,043 61,735 166,567 0 286,345

浅野川電気鉄道時代の輸送収支実績

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年度別実績
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1925 403,409 285 41,636 21,031 20,605 8,819
1926 791,700 527 87,129 40,915 46,214 遊船貸船業3 14,594
1927 819,966 1,260 94,291 47,380 46,911 貸船業872 12,257
1928 773,868 5,647 89,440 51,916 37,524 雑損447 11,941
1929 823,911 8,880 97,719 49,927 47,792 遊船業577 13,416
1930 822,720 25,400 98,453 53,077 45,376 遊船業418 19,212 25,746
1931 727,906 14,467 81,989 50,804 31,185 遊船貸船業379 18,956
1932 703,180 8,302 75,048 56,428 18,620 遊船業255 19,306
1933 729,542 15,151 83,040 49,128 33,912 遊船業7,058
雑損償却金6,455
19,699 1,378
1934 738,589 12,116 86,169 54,624 31,545 遊園業23,097
雑損償却金7,645
19,931 20,252
1935 822,245 7,787 90,750 54,866 35,884 遊園業その他22,120
雑損償却金9,484
16,708 21,750
1936 941,801 7,028 97,770 61,007 36,763 自動車遊園業29,067
雑損償却金6,690
17,607 12,111
1937 940,742 9,170 106,317 57,367 48,950 積立金繰入155 自動車業27,503
雑損4,500
13,948 4,420
1939 1,041,523 21,912
1941 1,519,439 16,450
1943 1,907,160 23,143
1945 2,373,916 10,741
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版 

設備

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踏切

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かつて警報機は電鐘式であったがJRと同じような電子式へと更新が相次ぎ最後まで残った蚊爪1号踏切が電子式に更新され消滅した。

車両

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現有車両

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過去の車両

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  • モハ3500形・モハ3550形
  • モハ3560形・クハ1200形
  • モハ3200形・クハ1000形
  • モハ5100形・クハ1300形
  • モハ3300形
  • モハ3010形
  • クハ1210形(クハ1211, 1212)
    石川総線のサハ2000形2001, 2002がその前身である。サハ2001は1955年(昭和30年)に自社工場で、サハ2002は翌1956年(昭和31年)に東洋工機でそれぞれ新製され、いずれも台枠および台車を能登線の前身である能登鉄道が開業時に新製した木造客車ホハ1, 2→北陸鉄道能登線ホハ1201, 1202→石川線サハ611, 612より流用している。普通屋根構造の2001に対し2002は張り上げ屋根構造とされ、同一形式ながらその外観は大きく異なっていた。当初より乗務員扉が設置され、先頭車化改造を考慮した設計となっており、1966年(昭和41年)に制御車化されてクハ1710形1711, 1712と改称され、前述の通り石川総線で使用されていた。浅野川線には1973年(昭和48年)に転入し、転入に際して制御方式が変更されたためクハ1210形1211, 1212と改称されている。1996年(平成8年)の昇圧まで在籍したが、クハ1212は同年6月末に運用を離脱し8月中旬に解体[42]、もう1両も最終日を待たずに運用から離脱していた。
  • クハ1650形(クハ1651, 1652)
    国鉄よりユニキハ04101, 04102を購入し1961年にサハ1651, 1652として竣功、浅野川線で使用した。1962年に運転台、乗務員扉の設置、前面3枚窓化、連結面への貫通扉新設などの改造を行いクハ1651, 1652となった。1968年廃車[43]
  • モハ850形(モハ852)
    伊那電気鉄道買収国電でデ110形デ111→国鉄クハ5920形5920。1926年(大正15年)伊那電松島工場製、車体約16mの木造ボギー車。富山港線で使用された後1954年(昭和29年)3月に北陸鉄道に移籍してきた。北陸鉄道では当初制御車クハ501として使用され、後に電装されモハ852となった。1962年(昭和37年)に廃車され、主要機器はモハ3550形に流用された。
  • モハ3100形(モハ3101, 3102)
    モハ850形と同じく元伊那電気鉄道買収国電でデ120形123, 124→国鉄モハ1920形1923, 1924、1927年(昭和2年)汽車製造東京支店製。車体約16mでモハ850形とよく似たスタイルの、リベットの多い半鋼製ボギー車であった。やはり富山港線で使用された後、1955年(昭和30年)3月に北陸鉄道に移籍してきた。1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて石川総線へ転属し、その際電装解除・制御車化されてクハ1150形1151, 1152と改称・改番された。
  • サハ210形(サハ211)・サハ220形(サハ221)
    浅野川電気鉄道創業時に製造された木造2軸単車で1925年(大正14年)、電車製造製。
  • モハ570形(モハ571 - 573)
    浅野川電気鉄道創業時に製造された木造2軸単車で1925年(大正14年)、汽車会社製。3両が製造され、うち572, 573の2両は、末期には北鉄金沢駅構内で国鉄線の貨車を、構内から伸びる専用線を経て工場へ牽引する事業用車として使用された。
  • クハ1600形(クハ1601)
    遠州鉄道クハ51を1962年(昭和37年)に日本車輛経由で購入、北鉄工場で改造した車両。主にモハ3550形と編成を組んで使用され、後に加南線へ転属した。

駅一覧

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営業中の区間

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  • すべて普通列車で各駅に停車。
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線・備考 所在地
A01 北鉄金沢駅 - 0.0 西日本旅客鉄道  北陸新幹線金沢駅
IRいしかわ鉄道IRいしかわ鉄道線(金沢駅)
金沢市
A02 七ツ屋駅 0.6 0.6  
A03 上諸江駅 0.9 1.5  
A04 磯部駅 0.7 2.2  
A05 割出駅 0.6 2.8  
A06 三口駅 0.5 3.3  
A07 三ツ屋駅 0.6 3.9  
A08 大河端駅 0.6 4.5  
A09 北間駅 0.6 5.1  
A10 蚊爪駅 0.4 5.5  
A11 粟ヶ崎駅 0.8 6.3   河北郡
内灘町
A12 内灘駅 0.5 6.8  

廃止区間

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  • 営業キロは北鉄金沢駅からのもの。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線・備考 所在地
内灘駅 - 6.8   河北郡
内灘町
粟ヶ崎海岸駅 1.3 8.1   金沢市

先述の通り、北鉄金沢駅が地下駅であり、1面2線である[35][44]。ほかは地上駅である。三ツ屋駅は、列車の行き違いが行われるため相対式ホーム2面2線であり[45]、その他の駅は1面1線となっている。また内灘駅に隣接して電車基地(内灘検車区)があり[45]、車両の留置が行われている。北鉄金沢駅・内灘駅(以上終日有人)・割出駅(平日ラッシュ時のみ有人)以外は無人駅である。

開業より1929年まで終端駅であった新須崎駅は大野川左岸にあった。ここで浅野川電気鉄道は河北潟への遊覧船運行や貸舟の営業を始め、また粟崎遊園行きの乗合自動車が運転されていた。1961年に乗客減少により廃止となった[46]

過去の接続路線

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脚注

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  1. ^ a b 寺田裕一『日本のローカル私鉄 (2000)』[要ページ番号] - ネコ・パブリッシング
  2. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 石川県による信用調査では「(申請者)鉄道敷設地方ニ関係ナク又発起人ハ地方ニ於ケル有力資産家ニアラス(中略)事業ハ成効シ難キモノト認ム」とされていた(「金沢堀川電気鉄道敷設申請書返付ノ件」『 第十門・地方鉄道及軌道・六、敷設請願却下・巻一・大正四年~大正十三年』国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  4. ^ a b c d e f g 安田・松本 2017, p. 44.
  5. ^ 西脇恵「私鉄車両めぐり [77] 北陸鉄道(2)」 『鉄道ピクトリアル』216号 電気車研究会 1968-11 による[要ページ番号]
  6. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 2014, p. 58.
  7. ^ a b c d 北陸の東京出身車も世代交替…北陸鉄道に元東京メトロ03系が登場 元京王車は一部が引退 12月21日”. レスポンス. イード (2020年12月1日). 2021年3月7日閲覧。
  8. ^ a b 鉄道ジャーナル』第31巻第3号、鉄道ジャーナル社、1997年3月、103頁。 
  9. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ a b c 北陸鉄道 1993, p. 44.
  14. ^ 北國新聞 2003, p. 268.
  15. ^ a b 『内灘町史』1145頁
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1926年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年6月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ a b c 『北鉄の歩み』318頁
  20. ^ 『北鉄の歩み』322頁
  21. ^ 『内灘町史』1147頁
  22. ^ 北陸鉄道 1993, p. 265.
  23. ^ 今尾 2008, p. 29.
  24. ^ a b c 朝日 2011, p. 19.
  25. ^ 北陸鉄道 1993, p. 271.
  26. ^ 北陸鉄道 1993, p. 276.
  27. ^ a b 北陸鉄道 1993, p. 278.
  28. ^ 「北陸初の地下駅完成祝う 北鉄浅野川線 金沢駅、記念列車が出発」『北國新聞』夕刊2001年3月27日、9面。
  29. ^ a b 鉄道ジャーナル 2014, p. 59.
  30. ^ 北陸鉄道グループ ダイヤ改正を実施します(4/1)”. 北陸鉄道 (2019年3月12日). 2020年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  31. ^ a b 浅野川線新型車両03系の営業運転開始に関するイベントについて』(PDF)(プレスリリース)北陸鉄道、2020年11月30日。オリジナルの2020年11月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201130112942/http://www.hokutetsu.co.jp/media/archives/36269/news.pdf?ver12020年11月30日閲覧 
  32. ^ a b “北陸鉄道に新型車両、東京メトロの車両を改造”. 日本経済新聞. (2020年12月7日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJB075930X01C20A2000000/ 2021年3月7日閲覧。 
  33. ^ 避難所・通行止めの道路・鉄道運転見合わせ情報…震災掲示板”. 読売新聞オンライン (2024年1月2日). 2024年1月12日閲覧。
  34. ^ 鉄道や空の便に乱れ 北陸道通行止め解除”. NHK (2023年1月3日). 2024年1月12日閲覧。
  35. ^ a b c 川島 2010, p. 84.
  36. ^ 浅野川線列車時刻表”. 北陸鉄道. 2024年1月29日閲覧。
  37. ^ a b 管内鉄軌道事業者輸送実績”. 国土交通省北陸信越運輸局. 2024年10月1日閲覧。
  38. ^ a b 鉄道統計年報”. 国土交通省. 2024年10月1日閲覧。
  39. ^ “浅野川線、21日に新車両 北鉄”. 北國新聞 (北國新聞社). (2020年12月1日). オリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201201115424/https://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20201201305.htm 2021年3月7日閲覧。 
  40. ^ “北鉄車両 ちょっぴり若返り 東京メトロの譲渡で“50歳超→30歳””. 中日新聞 (中日新聞社). (2019年7月13日). オリジナルの2019年7月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190724233645/https://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2019071702100043.html 2021年3月7日閲覧。 
  41. ^ “「浅電」新型車両を公開 北鉄、21日から導入”. 北國新聞 (北國新聞社). (2020年12月8日). オリジナルの2020年12月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201208081058/https://www.hokkoku.co.jp/subpage/K20201208302.htm 2021年3月7日閲覧。 
  42. ^ 交友社鉄道ファン』1996年12月号 通巻428号 p.104 - 105
  43. ^ 千代村資夫「キサハ04の異端車ユニキサハ04」『RAIL FAN』No.519
  44. ^ 川島 2010, p. 12.
  45. ^ a b 川島 2010, p. 22.
  46. ^ 『内灘町史』445頁

参考文献

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  • 『内灘町史』1982年、444-449、1145-1147、1180-1182頁
  • 『北鉄の歩み』北陸鉄道、1974年
  • 『北陸鉄道50年史』北陸鉄道、1993年12月。 
  • 『北國新聞に見るふるさと110年(上)』北國新聞社、2003年8月5日。 
  • 川島令三『【図説】日本の鉄道 中部ライン 全線・全駅・全配線 第6巻 加賀温泉駅-富山エリア』講談社、2010年9月20日。ISBN 978-4-06-270066-5 
  • 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄28 えちぜん鉄道 福井鉄道・北陸鉄道・のと鉄道』朝日新聞出版、2011年10月2日。 
  • 土屋武之・村上悠太「新幹線を迎える石川県に根付く 北陸鉄道の今昔物語」『鉄道ジャーナル』568号、鉄道ジャーナル社、2014年2月、58 - 65頁。 
  • 安田就規・松本典久『昭和の終着駅 北陸・信越篇』交通新聞社、2017年6月7日。ISBN 978-4-330-78617-9 
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』6号北信越、新潮社、2008年、31頁。 

関連項目

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外部リンク

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