波止場神社
大分県別府市にある神社
波止場神社(はとばじんじゃ)は、大分県別府市元町に鎮座する神社。旧社格は無格。祭神は、大物主命、気長足姫命、倉稲魂命、菅原神、市杵島姫命、三筒男命、事代主命[1]。
波止場神社 | |
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所在地 | 大分県別府市元町16 |
位置 | 北緯33度16分40.62秒 東経131度30分21.5秒 / 北緯33.2779500度 東経131.505972度座標: 北緯33度16分40.62秒 東経131度30分21.5秒 / 北緯33.2779500度 東経131.505972度 |
主祭神 |
大物主命 気長足姫命 倉稲魂命 菅原神 市杵島姫命 三筒男命 事代主命 |
創建 | 1870年(明治3年) |
地図 |
概要
編集七福神に倣って海に関係する神々を7柱集めたとされ[2]、「七社」とも呼ばれる[1]。祭神の大物主命が金刀比羅宮の祭神であることから、近隣では近年まで「金毘羅様」と呼ばれていた。また、元西鉄ライオンズの稲尾和久の生家に近いことから「稲尾神社」とも呼ばれた[3]。
沿革
編集1870年(明治3年)2月に着工した旧別府港(楠港)の安全と発展を祈願して、当時、日田県知事であった松方正義によって同年6月に創建された[3][2]。社殿の完成は1870年(明治7年)。1907年(明治40年)には社地の整備が行われ、玉垣が造られるとともに、鳥居が寄進された[1]。
1912年(大正元年)には、当時の別府町長であった吉田嘉一郎によって、境内に「別府築港之碑」が建立された[2]。碑文は、松方正義の揮毫による[4]。
戦後、神社は荒廃し祭礼も廃れたが、1973年(昭和48年)に夏祭りが復活した[1]。
老朽化のため、2014年8月から改修が予定されていたが、同6月に数百枚の屋根瓦が落下[5]。このため改修は遅れた[6]が、2015年1月に竣工した[7][8]。
2019年4月には、稲尾のサインを刻んだボールとバットの石碑が、別府市内の旅館からこの神社の境内に移設され、除幕式が行われた[9][10]。
脚注
編集- ^ a b c d 波止場神社史 (PDF) 安部巌
- ^ a b c “波止場神社改修工事浄財御奉賛会 役員決定”. 今日新聞. (2014年5月9日). オリジナルの2014年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “波止場神社を後世に残そう 別府市元町”. 大分合同新聞. (2013年12月17日). オリジナルの2013年12月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ “懐かしの別府ものがたり: No1747 町の発展導いた波止場 明治4年築造の歴史持つ別府港”. 今日新聞. (2014年8月14日). オリジナルの2014年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “屋根瓦数百枚が落下 別府市の波止場神社”. 大分合同新聞. (2014年6月26日). オリジナルの2014年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “庫員ら波止場神社で清掃奉仕”. 今日新聞. (2014年10月8日). オリジナルの2014年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “波止場神社の天井画を披露”. CTBメディア. (2015年6月11日)
- ^ “波止場神社”. 波止場神社. 2020年2月22日閲覧。
- ^ “鉄腕・稲尾の新たな名所に 別府・波止場神社にモニュメント”. 大分合同新聞. (2019年4月5日). オリジナルの2019年4月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「鉄腕」稲尾の記念碑完成 元西鉄ライオンズ 別府市の生誕地近く「波止場神社」”. 西日本新聞. (2019年4月10日). オリジナルの2020年2月22日時点におけるアーカイブ。