法華宗陣門流
仏教の日蓮門下の一派
法華宗陣門流(ほっけしゅうじんもんりゅう)は、日蓮を宗祖(高祖)とし、日陣(にちじん)(1339年~1414年)を派祖(門祖)とする、仏教の日蓮門下の一派である。本尊は三宝尊である。法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱えること(唱題)を正行(しょうぎょう)とする。
概要
編集陣門流では、三宝の第一を、仏は久遠実成本仏釈迦牟尼世尊とし、法は正法ととらえている妙法蓮華経(法華経)とし、僧は日蓮大聖人(陣門流の使用する日蓮の呼び方)とする。教義は釈迦本仏論で勝劣派である。
日陣は本圀寺(京都市)日静を師として修学し、日静より遷化に先立ち越後国三条本成寺(新潟県三条市)を与えられ、日陣門流を興す。応永13年(1406年)、日陣は京での布教のため、本禅寺を創建する。
沿革
編集- 1253年(建長5年)に宗祖日蓮により立宗。
- 1297年(永仁5年)に日印は山吉定明・長久父子の協力を得て越後国三条長久山本成寺(初祖日朗<六老僧>の四長本山)(新潟県三条市)を建立する。
- 1318年(文保2年)~1319年(元応元年)に日印は高齢の日朗に代わり、征夷大将軍が宮将軍の守邦親王の世の鎌倉幕府の執権・得宗の北条高時の前で他の諸宗の僧を論破(いわゆる鎌倉殿中問答)(弟子の日静が書き留める。)し、日蓮門下の宗門の危機を救う。
- 1406年(応永13年)に亡き日静の弟子日陣は本禅寺(京都府京都市)を建立する。
- 1542年(天文11年)に本成寺9世日覚が京の後奈良天皇に召されて講説をし、大僧正の位を賜る。
- 1872年(明治5年)に一宗一管長制により、日陣門流は日蓮門下の諸門流と連合する。
- 1874年(明治7年)に日陣門流は勝劣派に属する。
- 1876年(明治9年)に管長設置により、日陣門流は本成寺派と公称し、勝劣派は解体する。
- 1898年(明治31年)に本成寺派は法華宗と改称する。
- 1941年(昭和16年)に宗教団体法により、法華宗と本門法華宗と本妙法華宗が合同し、法華宗と公称する。
- 1951年(昭和26年)に法華宗から独立し、法華宗(陣門流)と公称する。
宗祖
編集陣門流では高祖(こうそ)とも呼ぶ。
派祖
編集陣門流では門祖(もんそ)と呼ぶ。
日蓮(宗祖)から日朗(総本山越後国三条長久山本成寺初祖)、日印(同寺開山)、日静(上杉氏<藤原北家系>出身、後に除歴)の法脈である。
寺院
編集→詳細は「Category:法華宗陣門流の寺院」を参照
総本山
編集本山
編集別院
編集教区
編集日本列島を八つの教区に区分して末寺を置いている。
- 北海教区(北海道の寺院)
- 東北教区(東北地方の寺院)
- 新潟教区(総本山本成寺末の新潟県下の寺院)
- 北陸教区(北陸別院本法寺末の富山・石川・福井・岐阜各県の寺院)
- 関東教区(東京別院本妙寺末の関東地方・静岡県東部の寺院)
- 東海教区(東海本山本興寺末の静岡県西部から愛知県豊橋市の寺院)
- 中部教区(愛知県下で豊橋市以外の寺院)
- 関西教区(京本山本禅寺末で三重県以西の寺院)