河野孝典
日本のノルディック複合の選手 (1969-)
河野 孝典(こうの たかのり、1969年3月7日 - )は、1990年代に活躍したスキーノルディック複合の選手。
河野孝典 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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名前 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
カタカナ | コウノ タカノリ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Kono Takanori | ||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | ノルディック複合 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1969年3月7日(55歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 長野県下高井郡野沢温泉村 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ワールドカップ戦歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
デビュー年 | 1989-1990シーズン | ||||||||||||||||||||||||||||||||
引退年 | 1995 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
最高成績 | 1位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
通算成績 | 1勝(準優勝8回、3位3回) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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プロフィール
編集- 1969年3月7日長野県下高井郡野沢温泉村に生まれる。5歳からスキーを始め、野沢温泉小学校4年生でジャンプ、野沢温泉中学校1年生で複合競技を始める。長野県飯山南高等学校から早稲田大学人間科学部へと進学。在学中に当時複合のトップ選手として活躍していたノルウェーのエルデン兄弟の家にホームステイをし、最先端のトレーニング法を学ぶ。帰国後、このトレーニング法を後輩の荻原健司に教え、ともに練習を積み重ねたことが後のワールドカップでの躍進に大きくつながることになる。大学卒業後の1991年から野沢温泉スキークラブに所属。
- オリンピックには1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックに出場し、ノルディック複合団体では2大会連続金メダルを獲得した。リレハンメル大会の個人では、前半ジャンプの4位からスタートした後半クロスカントリーで、地元ノルウェーのビャルテ・エンゲン・ビークとの激しい2位争いを0.8秒差で制して、日本人では初の個人銀メダルを獲得した(長野県出身者では夏季・冬季を通じて初のオリンピック個人種目におけるメダル受賞者)。現在は、日本オリンピアンズ協会の理事を務めている。
成績
編集オリンピック
編集世界選手権
編集- 1991年ヴァル・ディ・フィエンメ( イタリア)
- 個人30位
- 1993年ファルン( スウェーデン)
- 1995年サンダーベイ( カナダ)
ワールドカップ
編集- 優勝1回、1993年3月12日オスロ大会(準優勝8回、3位3回)
- 1992-1993シーズン/個人総合3位
- 1993-1994シーズン/個人総合2位
- 1994-1995シーズン/個人総合5位
引退後の活動
編集1995年に現役を引退し、ドイツに留学してドイツトレーナーアカデミーでコーチの資格を取得。1998年の長野オリンピックで聖火ランナー・選手村副村長を務める。1999年の春に全日本複合ジュニアコーチ就任。
受賞
編集- 1991年度JOCスポーツ賞最優秀賞
- 1993年度JOCスポーツ賞特別貢献賞
- 1994年度JOCスポーツ賞最優秀賞
関連項目
編集外部リンク
編集- 河野孝典 - Olympedia
- 河野孝典 - 国際スキー連盟のプロフィール
- 日本オリンピアンズ協会 OAJインタビュー 河野孝典さん