河瀬神社 (彦根市)
彦根市にある神社
河瀬神社 (かわせじんじゃ)は滋賀県彦根市に鎮座する神社である。『延喜式神名帳』にある近江国神埼郡の「川桁(かわけた)神社」の論社(式内社論社)[1]とされる旧郷社。
河瀬神社 | |
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所在地 | 滋賀県彦根市川瀬馬場町639 |
位置 | 北緯35度13分33秒 東経136度14分4秒 / 北緯35.22583度 東経136.23444度座標: 北緯35度13分33秒 東経136度14分4秒 / 北緯35.22583度 東経136.23444度 |
主祭神 |
大穴牟遅神 誉田別尊 大山咋命 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 4月16日に近い日曜日(春季)・9月16日(秋季) |
祭神
編集現在の祭神は大穴牟遅神、誉田別尊、大山咋命の3柱であるが、式内「川桁神社」であった場合、本来の祭神を天湯川桁命とする説が多い[2]。
商売の神様として古くから信仰を集めているという。また河瀬が為替と読めることから金融関係者の信仰も集めている。
由緒
編集創祀年代は不詳であるが、江戸時代までは「川桁神社」「桁の宮」「気多大明神」と称されていた。[3]元亀元年(1570年)に河瀬庄[4]の領主河瀬氏が社殿を修造するとともに供米田を寄進し、江戸時代を通じて彦根藩主井伊氏から崇敬され、大祭には奉行を差遣して祭事を警衛するを例としたという[5]。また、滋賀県教育課編『神社由緒記』によると、延宝3年(1675年)2月に河瀬荘の旧領主であった河瀬壱岐守とその孫の河瀬隼人正が相殿神を勧請して再興したという[6]。
明治になって「河瀬神社」と改称し、明治5年(1872年)1月17日に郷社に列せられ、同9年10月21日に一旦村社に降格したが、同14年2月1日に再度郷社に加列、同41年4月29日に神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。2012年の彦根市教育委員会文化財課の調査によると河瀬神社付近の遺構が河瀬城のものと推定されている。[3]
社殿
編集本殿は三間社流造。元治元年 (1864年)に京都府京都市にある賀茂別雷神社の社殿を移築したものである。他に、入母屋造の拝殿や神楽殿等がある。
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本殿遠景
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本殿正面
境内社
編集五十楼波神社、八幡社、若松神社、八大神社、天寧神社、神ノ木神社、辻中神社、天満宮社、天満神社
境内
編集- 馬頭人記念 種村源平碑
交通アクセス
編集脚注
編集- ^ 「川桁神社」の論社としては、旧神崎郡の河桁御河邊神社(現東近江市八日市神田町)と小幡神社(現東近江市五個荘中町)と大瀧神社(現東近江市萱尾町)、愛知郡の 河脇神社(愛知郡愛荘町中宿)と川桁神社(現彦根市甲崎町)、旧犬上郡の当神社の6社が知られている。
- ^ 出口延経の『神名帳考証』、栗田寛の『神祇志料』、『特選神名牒』、『大日本史神祇史』など。ちなみに、当神社を式内社に比定する『近江輿地志略』は祭神を記さず、それを承けた『神社覈録』は「祭神詳ならず」としている。
- ^ a b 広報ひこね 2012年5月1日号17ページ 連載企画 - わたしの町の戦国第22回 - 河瀬城 - 河瀬氏ゆかりの平地城館 - (PDF)
- ^ 彦根市役所 カルタで学ぶひこねのれきし
- ^ 『神道大辞典』。
- ^ 相殿がどの神を指すかは不明。