永井直達
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄2年(1689年) |
死没 | 宝永3年7月30日(1706年9月6日) |
改名 | 豊熊(幼名)、直達 |
戒名 | 節渓宗貞高松院 |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺清光院 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 摂津高槻藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 |
父:永井直圓、母:松平忠継の娘 養父:永井直種 |
兄弟 |
直達、直亮、政之丞、千次郎、直期、直度、 直教、直次、増山正邑、妻木頼紀 |
妻 | 正室:永井直種の娘 |
子 | 1女、養子:直英 |
略伝
編集元禄2年(1689年)、大和新庄藩主・永井直圓(永井宗家5代)の長男として生まれる。元禄8年(1695年)、伯父の高槻藩主永井直種が死去した際、直種の実子直英は乳飲み子であったため、婿養子として6月19日に跡を継いだ。元禄16年(1703年)12月21日、岳父と同様に日向守として叙任される。
宝永3年(1706年)7月30日に死去した。享年18。養子となった直英が跡を継いだ。なお、のちに直英も早世すると、直達の弟の直期がその跡を継いでいる。