水野誠一
水野 誠一(みずの せいいち、1946年7月8日 - )は日本の実業家、政治家。株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役、株式会社アンビシオン取締役会長、一般社団法人日本文化デザインフォーラム理事長、すみだ地域ブランド推進協議会理事長[1]、一般社団法人シンクジアース理事長ほかを務める。日本リトアニア友好協会会長。
水野 誠一 みずの せいいち | |
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生年月日 | 1946年7月8日(78歳) |
出生地 | 東京都 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
前職 | 慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授 |
現職 | インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役 |
所属政党 |
(新党さきがけ→) (無所属→) (参議院クラブ→) 無所属の会 |
称号 |
経済学士(慶應義塾大学・1970年) 旭日中綬章 「リトアニア外交の星(Lithuanian Diplomacy Star)」(リトアニア共和国) |
配偶者 | 木内みどり |
親族 | 丸尾文六(高祖父) |
公式サイト | MIZUNO'S SCAPE |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2001年7月10日 |
株式会社西武百貨店社長、参議院議員(1期)、新党さきがけ政策調査会長(第4代)等を務めた。
父は文化放送、フジテレビジョン、産業経済新聞社の社長を務めた水野成夫。妻は女優の木内みどり。木内との間に一女。ビデオアーティストのEguo a.k.a. Video Bouillon(エグオ:別名ヴィデオブイヨン)は息子[2]。
来歴
編集東京都出身。学習院初等科、開成高等学校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業。
高校の時、折あるごとに遠回りして頻繁に立ち寄るほど西武百貨店池袋店に不思議な魅力を覚え興味を持ち始め[3]、いつしか、将来はその百貨店を率いる堤清二の下で働きたいと思いを募らせ[3]、「百貨店に行きたいのなら、三越でも伊勢丹でもいくらでも紹介するよ」とゼミの教授には言われもしたが、未完の大器であるイメージにひかれ西武百貨店に入社した[4]。
高輪プリンスホテルで開催されていた店外催事である高輪会の担当や、新都市開発センター(現:サンシャインシティ)への出向を経て、本部の販売促進部長となる[4]。1984年、当時の山崎光雄社長から、「渋谷を活性化させるためには、新しい考えが必要」と説得され、当初は固辞するも最終的には要請を受け入れ、営業経験のないまま渋谷店長に就き、時代に先んじた実験店舗としてSEED館、これから雑貨がおもしろいと直感しLOFT館の開発を手掛けた[4]。
1990年、社長に就任した。時あたかもバブル景気はピークアウト化しつつあり、その状況に対応するため新規プロジェクトを取りやめ、軌道修正を試みている最中、医療機器事業部における架空取引事件やイトマン事件に絡んだ高額絵画取引の偽保証書問題などが発覚。対応に追われた[5]。1992年6月には代表取締役相談役であった堤と共に、お詫びの記者会見を開き、辞表を提出するが、「君の責任ではない」と慰留された[5][6]。
1992年7月、西洋フードシステムズ社長であった和田繁明が会長として百貨店に復帰し、経営改革を断行。1993年4月、和田の発案で全役員が降格する人事が行われた。水野はみんなと一緒の同じ降格だけというわけにはいかないと思い辞意を申し出た。しかし、「様子が見えるまで和田新社長をサポートとしろ」との話が出たため、副社長として不祥事を起こした外商部門を担務した[5]。だが、かつて協力して仕事に取り組んだ役員の非業の死や母の死に直面したこともあり、1994年7月、気持ちの整理をつけるため非常勤取締役に退いた。
1995年、学習院初等科の同級生であった鳩山由紀夫の誘いを受け[7]、鳩山が代表幹事を務める新党さきがけから、第17回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、初当選を果たした[注 1]。この政界入りに関しては周囲の誰もが反対する中、堤は「さきがけなら、面白いかもしれない」と賛意を示した[8]。1996年、鳩山や菅直人ら新党さきがけの所属議員の多くがさきがけを離党して旧民主党を結党した際はこの動きには参加せず、さきがけに残留した。鳩山らの離党により、国会議員5人の小政党に転落した新党さきがけで、政策調査会長を務める。1998年に新党さきがけが事実上解党した後も民主党には合流せず、参議院クラブを結成。参議院クラブには水野のほか、同じく新党さきがけに所属していた堂本暁子(のち千葉県知事)、椎名素夫、田名部匡省、松岡満寿男、岩本荘太らが参加した。1999年8月、参院本会議で国旗及び国歌に関する法律に賛成票を投じた。参議院の院内会派であった参議院クラブに、無所属の衆議院議員であった中田宏や土屋品子が合流し、無所属の会を結党。
2001年、参議院議員の任期をわずかに残し、静岡空港建設反対を掲げて静岡県知事選挙に無所属で出馬したが落選、現職の石川嘉延が3選を果たした[注 2]。落選後は、1995年に自身が設立した株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュアの代表取締役の他、複数の企業の役職に就いている。
人物
編集- 1995年に西武百貨店取締役を退任して以降、ヴァージンシネマズの日本法人や森ビル、オリコン、アートボックス・ネット(西友ネットスーパー受託/運営会社)等複数の企業の役職に就いた[9]。ネットスケープコミュニケーションズの日本法人で顧問を務めた経験があり、自身のウェブサイト「MIZUNO'S SCAPE」のシンボルマークはNetscapeシリーズのロゴを模したものである[10]。
- 2011年7月、自身のTwitterで長らく購読していた産経新聞について、原子力発電所関連の記事の杜撰さを理由に、購読打ち切りを宣言した[11]。
- 長野県軽井沢町に別荘を所有する各界著名人を中心として各地のまちづくりに貢献することを目的に設立された団体『国際文化都市整備機構(FIACS)』の理事長を務めている。なお当団体会長は同級生の鳩山由紀夫である。
- 自動車好きで、戦前のブガッティを所有する。「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などの自動車イベントにも参加している。
系譜
編集水野彦次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水野彦治郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鎌三郎の二女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水野成夫 | 水野誠一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水野みどり | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
水野惣平 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堤麻子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堤清二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
丸尾文右衛門 | 丸尾文六 | 文六の娘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鎌三郎の子 | 丸尾文治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
丸尾鎌三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 赤地に太字が本人である。
- 係累縁者が多いため、水野誠一の親族に該当する著名人のみ氏名を記載した。
年譜
編集- 1970年 - 慶應義塾大学経済学部卒業。
- 1970年 - 西武百貨店入社。
- 1990年 - 西武百貨店社長。
- 1994年 - 西武百貨店取締役。
- 1995年 - 日本ネットスケープ・コミュニケーションズ顧問。
- 1995年 - 慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授。
- 1995年 - インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役。
- 1995年 - 第17回参議院議員通常選挙当選。
- 1996年 - 新党さきがけ政策調査会会長。
- 1997年 - 未来編集特別顧問。
- 1998年 - ヴァージンシネマズ・ジャパン顧問。
- 1998年 - 新党さきがけ離党。
- 1998年 - 参議院クラブ入党。
- 1999年 - 無所属の会入党。
- 2000年 - ヴァージンシネマズ・ジャパン監査役。
- 2000年 - バルス取締役。
- 2001年 - 参議院議員辞職。
- 2001年 - 第15回静岡県知事選挙落選。
- 2002年 - リプロジェクト・パートナーズ最高経営責任者。
- 2003年 - 森ビル特別顧問。
- 2006年 - オリコン取締役。
- 2015年5月 - リトアニア共和国より、リトアニア友好の星(Lithuanian Diplomacy Star)受章[12]。
- 2016年11月 - 旭日中綬章受章。
著書
編集- 『ネオ・アキンドノオト―成熟化時代の「超」百貨店論』 テイビーエス・ブリタニカ、1989年。ISBN 4484892073
- 『ロフト・グラフィティ―「ほしいもの」探しの時代』 プレジデント社、1990年。ISBN 4833413914
- 『時代はアナロジー』 (対談集)主婦の友社、1991年。ISBN 4079372094
- 『静岡県は大丈夫か?―静岡空港は東海地震は浜岡原発は太田川ダムは財政再建は情報公開は』 野草社、2002年。ISBN 4787702815
- 共編著『消費社会のリ・デザイン─ 豊かさとは何か』 大学教育出版、2009年。ISBN 4887308817
- 『否常識のススメ』 ライフデザインブックス、2015年。ISBN 4901484761
出演
編集- DeepTV.art (TOKYO MX、2022年)
脚注
編集注
編集出典
編集- ^ 墨田区産業観光部産業振興課 (2023年3月17日). “墨田区のブランド認証事業『すみだモダン2022』お披露目!”. PR TIMES. 2023年5月18日閲覧。
- ^ Eguo a.k.a. Video Bouillon (2021年12月30日). “Eguo a.k.a. Video Bouillon -『問題外科』(『宇宙衛生博覽會』収録)/筒井康隆”. アートブックノススメ:番外編. Qetic. 2022年4月25日閲覧。 “祖父・水野成夫関連の本。父・水野誠一関連の本。(略)おれにとって重要な本棚の一角です。”
- ^ a b 「特集 堤清二/辻井喬 最後まで堤清二でいてほしかった 水野誠一」『ユリイカ』 2014年2月号
- ^ a b c 「ビジネス戦記 一座建立 前西武百貨店社長 水野誠一 中」『朝日新聞』夕刊 1995年11月25日
- ^ a b c 「ビジネス戦記 一座建立 前西武百貨店社長 水野誠一 下」『朝日新聞』夕刊 1995年12月2日
- ^ 『堤清二とセゾングループ 』p.450
- ^ “同級生、仲間が見た鳩山氏 「もの静か」「相当頑固」”. 共同通信. (2009年9月15日) 2015年10月15日閲覧。
- ^ 「ビジネス戦記 一座建立 前西武百貨店社長 水野誠一 上」『朝日新聞』夕刊 1995年11月18日
- ^ 「SEIICHI MIZUNO biograpfy」『MIZUNO'S SCAPE』
- ^ MIZUNO'S SCAPE
- ^ ボクは保守系の新聞として今まで産経を応援していたのだが…
- ^ “リンケビチュウス外務大臣より水野会長に勲章が授与”. 日本リトアニア友好協会 (2015年5月21日). 2020年5月15日閲覧。
参考文献
編集- 立石泰則 『堤清二とセゾングループ 』 講談社文庫、1995年。ISBN 4061858866
- 『ユリイカ』 青土社、2014年。ISBN 4791702670
外部リンク
編集- MIZUNO'S SCAPE
- 株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア
- 水野誠一 (@SeiichiMizuno) - X(旧Twitter)
党職 | ||
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先代 渡海紀三朗 |
新党さきがけ政策調査会長 第4代:1996年 - 1998年 |
次代 中村敦夫 |