水野勝起
水野 勝起(みずの かつおき)は、江戸時代中期から後期の大名。下総国結城藩の第5代藩主。水野宗家10代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 延享2年11月29日(1745年12月21日) |
死没 | 天明3年4月12日(1783年5月12日) |
改名 | 太郎次郎・鍋五郎(幼名)、勝起 |
戒名 | 保徳院仁雄英智 |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺 |
官位 | 従五位下、下野守、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 下総国結城藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野勝前、母:遠藤氏 |
兄弟 | 勝起、勝盈、正衡 |
妻 |
正室:松平忠名の娘 継室:小笠原長逵の娘 |
子 |
娘(大岡忠移正室) 養子:勝剛 |
生涯
編集延享2年(1745年)11月29日、第4代藩主・水野勝前の長男として結城で生まれる。
宝暦12年(1762年)に従五位下、下野守に叙位・任官し、宝暦13年(1763年)、勝前の隠居にともなって家督を継ぎ、日向守に遷任する。
系譜
編集父母
- 水野勝前(父)
- 遠藤氏 ー 側室(母)
正室、継室
子女
養子