歌川国春
1803-1839, 江戸時代後期の江戸の版元で、浮世絵師の歌川国春
歌川 国春(うたがわ くにはる、享和3年〈1803年〉 - 天保10年10月26日〈1839年12月1日〉)とは、江戸時代中後期の浮世絵師。
来歴
編集二代目歌川豊国の門人。本姓は福田、前名嵐冠之助。俗称具足屋佐兵衛。玉陽斎、山風亭と号す。もとは歌舞伎役者で初代嵐冠十郎の長男。子役の頃より舞台に立ち、文政7年(1824年)11月に江戸市村座で二代目嵐徳三郎を襲名する。文政2年(1819年)に二代目豊国の門人となる(文政8年とも)。文政10年(1827年)の夏までは役者番付に名が見られるが、その後病弱により役者を廃業し、文政11年の春から絵師として画業に専念した。絵は歌川国芳風の役者絵を天保の頃まで描く。また人形町で書肆具足屋を開いた。享年37。墓所は東京都港区三田三丁目の蓮乗寺、法名は聞妙院歌声日慶信士。
作品
編集- 「春情江都淑」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※文政12年正月。「嵐徳三郎改国春画」の落款あり
- 「かなてこ伴七・中村伝九郎 市川八重蔵」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※文政13年6月、江戸中村座『南爾寄来妙法経』より
- 「久我之助・市川八百蔵 ひな鳥・瀬川菊之丞」 大判錦絵2枚続 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※天保元年8月、江戸中村座『妹背山婦女庭訓』より
- 「白びよふし花子・市川八百蔵」 大判錦絵 ※画賛「数代お馴染の名に蒙る八百八町御恵みにすかりて 人真似の行も恥かし春嵐 五代目中車」
- 「成駒や芝翫楽屋姿」 大判錦絵 ※天保5 - 6年頃
参考文献
編集- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※36頁
- 国立劇場調査養成部調査記録課編 『歌舞伎俳優名跡便覧』(第4次修訂版) 日本芸術文化振興会、2012年