歌川国信
江戸時代の浮世絵師。また志満山人名で戯作も手掛けた。
来歴
編集歌川豊国の門人。本姓は金子、名は弥四郎(または惣四郎)。歌川の画姓を称し一陽斎、一礼斎、陽岳舎、堰埭楼と号す。戯作も手がけ戯作名を志満山人(しまさんじん)と称した。幕臣で小人目付の身分だったと伝わり、湯島三組町に住む。作画期は文化11年(1814年)から天保の頃にかけてで、合巻の挿絵と作を手がける。門人に歌川信房、歌川信一、歌川清一、歌川信清、歌川信貞、歌川信与喜、歌川信秀がいる。
作品
編集- 『女見台錦輦』三巻 ※山東京山作、国信挿絵。文化11年刊行
- 『女曾我兄弟鏡』三巻 ※文化13年刊行。自画作
- 『竹春駒引心綱』前後編二巻 ※文化14年刊行。自画作
- 『魁対の盃』一巻 ※文化14年刊行。自画作
- 『竹春駒心引綱』前後編二巻 ※文化14年刊行。自画作
- 『浜真砂黒白論』前編三巻・後編二巻 ※文政5年(1822年)刊行。自画作
- 『海中箱入恩着』上下二巻 ※文政7年刊行。関亭伝笑作、国信挿絵
- 『桜月浮世雛形』前編三巻・後編三巻 ※文政9年(1826年)刊行。自画作
- 『玉屋新兵衛桶臥』上下二巻 ※文政12年刊行。自画作
- 『時雨傘菊の井小七』六巻 ※天保3年(1832年)刊行。自画作
- 『熊王昔物語』一冊 ※刊行年不明。自画作
- 「案内吉原双六」 ※森屋治兵衛版、自画作
参考文献
編集- 井上和雄 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※115頁