橘村 (神奈川県)
日本の神奈川県橘樹郡にあった村
橘村(たちばなむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1937年(昭和12年)6月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の村。
たちばなむら 橘村 | |
---|---|
廃止日 | 1937年6月1日 |
廃止理由 |
編入合併 橘村 → 川崎市 |
現在の自治体 | 川崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 橘樹郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
川崎市、横浜市 橘樹郡宮前村 都筑郡新田村、中川村 |
橘村役場 | |
所在地 | 神奈川県橘樹郡橘村大字千年 |
座標 | 北緯35度34分55秒 東経139度37分14秒 / 北緯35.58208度 東経139.62058度座標: 北緯35度34分55秒 東経139度37分14秒 / 北緯35.58208度 東経139.62058度 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集歴史
編集村名の由来
編集大字子母口に橘樹神社があり、橘樹郡橘樹郷の地と比定されることにちなむ。
沿革
編集- 奈良時代、平安時代 - 橘樹郷の地名が見られる。
- 南北朝時代 - 橘、渋口郷の地名が見られる。
- 戦国時代 - 新作、末長の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の8村が成立。
- 清沢村(旗本松波氏・鈴木氏の相給)
- 岩川村(旗本鈴木氏知行)
- 新作村(江戸増上寺領、旗本門奈氏・国領氏知行→増上寺領・増上寺隠居料、旗本門奈氏・国領氏知行→江戸増上寺領、旗本門奈氏・国領氏知行)
- 子母口村(旗本高林氏知行→旗本高林氏知行、江戸誓願寺領→幕府領、誓願寺領)
- 末長村(旗本浅井氏・国領氏・松波氏の3給)
- 久末村(旗本佐橋氏知行)
- 明津村(旗本駒井氏知行→幕府領→江戸増上寺領)
- 蟹ヶ谷村(旗本小幡氏知行→幕府領)
- 1868年(明治元年)
- 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
- 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、井田村、木月村、蟹ケ谷村、明津村、北加瀬村が第4大区第8小区に、子母口村、久末村、末長村、新作村、清沢村、岩川村が第5大区第4小区になる。
- 1875年(明治8年) - 清沢村、岩川村が合併して千歳村が成立[1]。
- 1878年(明治11年) - 千歳村が千年村に改称[1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、千年村、新作村、子母口村、末長村、久末村、明津村、蟹ヶ谷村が合併して橘村が成立。
- 1937年(昭和12年)6月1日 - 川崎市に編入。同日橘村廃止。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧村域が高津区になる。
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、橘村の篤農家は「伊藤壽三郎、伊藤恭之助、中村瀬左衛門、井上久左衛門、内田寛蔵、渋谷義三」などがいた[2]。
- 畜産
交通
編集鉄道路線
編集道路
編集現在の町名
編集すべて旧村名が現存する。合併後に千年新町、子母口富士見台が起立。
脚注
編集- ^ a b 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年、379頁。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月1日閲覧。
- ^ a b c d 『神奈川の畜産 昭和九年三月』27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月1日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『神奈川の畜産 昭和九年三月』神奈川縣内務部、1934年。