横山 寅一郎(よこやま とらいちろう、万延元年6月7日[1]1860年7月24日) - 大正12年(1923年5月22日[2])は、衆議院議員立憲政友会)、長崎市長

横山寅一郎

経歴

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肥前国大村に、大村藩家老横山雄左衛門の二男として生まれる[3][4]。藩校五教館に学んだ[5]長崎県警部を務めた後、私立大村中学校(現在の長崎県立大村高等学校)の創設に加わり、校長を務めた。

長崎県会議員・同副議長を経て、1895年明治28年)に長崎市長に就任した。3期務め、港湾改良・水道増設・市区拡張の三大事業に取り組んだ[3]1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。

その他、大村湾真珠株式会社社長、国光生命保険相互会社専務取締役などを務めた[4][5]

栄典

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脚注

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  1. ^ 横山寅一郎特旨叙位ノ件
  2. ^ 『官報』第3243号、大正12年5月24日
  3. ^ a b 『長崎市制五十年史』p.459
  4. ^ a b 『人事興信録』
  5. ^ a b 『衆議院議員略歴』
  6. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献

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公職
先代
北原雅長
  長崎市長
2-4代:1895 - 1907
次代
北川信従