業平
業平(なりひら)は、東京都墨田区の地名。現行行政地名は業平一丁目から業平五丁目。住居表示実施済み区域。
業平 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度42分30秒 東経139度48分50秒 / 北緯35.7084度 東経139.813778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 墨田区 |
人口情報(2024年(令和6年)4月1日現在[1]) | |
人口 | 10,142 人 |
世帯数 | 6,062 世帯 |
面積([2]) | |
0.350848077 km² | |
人口密度 | 28907.1 人/km² |
郵便番号 | 130-0002[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 足立 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 東京都 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
地理
編集墨田区の地理的中央部に位置し、本所地域内に当たる。北で北十間川を境に対岸に押上、東で横十間川を挟んで対岸に江東区亀戸、南で横川、西で大横川を挟んで対岸は吾妻橋および東駒形と隣接する。町域の東辺をもって墨田区 - 江東区境を成す。町域中央を南北に四ツ目通りが縦断し、その地下を東京メトロ半蔵門線が走る。町域の西側から東へ業平一丁目、同二丁目、同三丁目、四ツ目通りの東に同四丁目、同五丁目が並ぶ。隣接地(所在地は押上一丁目)には東京スカイツリーがある。
河川
編集歴史
編集1872年(明治5年)に業平天神社の前にある土地であることから、小梅業平町(現:東駒形四丁目)が誕生したのをはじめ、1891年(明治24年)に業平橋の東詰ということで中ノ郷業平町(現:業平一丁目・業平二丁目)が新設された。現在の墨田区業平一丁目から業平五丁目は、1967年(昭和42年)の住居表示制度実施に際し、平川橋1~5丁目を合併して成立した。
地名の由来となった業平天神社(現存せず、現:吾妻橋三丁目6番)は、業平山南蔵院(しばられ地蔵、葛飾区東水元へ1926年に転出)[5]境内にあった神社の摂末社(鎮守社)である。江戸時代初期に開かれたといわれ、その由緒は、在原業平が亡くなった場所に建てられた業平塚に由来する(『江戸名所記』)といわれるが、業平塚については、力士成川運平の墓が業平の墓に転じたという説(『遊歴雑記』)、里見成平の墓という説(『本所雨やどり』)など諸説あり、『江戸名所図会』には「当社の伝説粉々として詳らかならず。」と記されている[6]。歴史研究者の石川悌二は「業平天神の由来は定かではないが、業平塚と里人がよんでいた塚は古くからこの地にあって、考古学の鳥居龍蔵博士はそれを上代の舟形式古墳であると推定した。要するに伝承が伝承を生んで業平天神の社祠が建立されたものであろう。」[7]と推測している。
業平小学校56周年記念行事として、1972年(昭和47年)7月15日に業平音頭が制作される。これは業平小学校での運動会や地元町会での盆踊りで定番となっている。
世帯数と人口
編集2024年(令和6年)4月1日現在(墨田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
業平一丁目 | 1,682世帯 | 3,060人 |
業平二丁目 | 759世帯 | 1,219人 |
業平三丁目 | 928世帯 | 1,424人 |
業平四丁目 | 1,439世帯 | 2,144人 |
業平五丁目 | 1,254世帯 | 2,295人 |
計 | 6,062世帯 | 10,142人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 6,946
|
2000年(平成12年)[9] | 7,104
|
2005年(平成17年)[10] | 8,215
|
2010年(平成22年)[11] | 9,595
|
2015年(平成27年)[12] | 9,601
|
2020年(令和2年)[13] | 10,055
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 2,868
|
2000年(平成12年)[9] | 3,108
|
2005年(平成17年)[10] | 3,796
|
2010年(平成22年)[11] | 4,812
|
2015年(平成27年)[12] | 5,041
|
2020年(令和2年)[13] | 5,502
|
学区
編集区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年9月時点)[14]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
業平一丁目 | 全域 | 墨田区立業平小学校 | 墨田区立本所中学校 |
業平二丁目 | 全域 | ||
業平三丁目 | 全域 | ||
業平四丁目 | 1〜8番 | 墨田区立柳島小学校 | |
その他 | 墨田区立業平小学校 | ||
業平五丁目 | 全域 | 墨田区立柳島小学校 |
交通
編集鉄道
編集※A2は半蔵門線・東武線には繋がっていない
バス
編集当地区内には、十間橋(浅草通り)、業平四丁目(四ツ目通り)、押上(浅草通りおよび四ツ目通り)、とうきょうスカイツリー駅入口(浅草通り)、春慶寺前(浅草通り)、柳島妙見山法性寺入口の停留所がある。以下の路線があり、東京都交通局、京成バスなどにより運行されている。
- 都08系統(浅草通り、四ツ目通り)
- 錦40系統(浅草通り、四ツ目通り)
- 上26系統(浅草通り、四ツ目通り)
- 錦37系統(四ツ目通り)
- 上23系統(主に浅草通り)
- 門33系統(浅草通り)
- 墨田区内循環バス (南部ルート)
- 水陸両用バス (スカイダック 東京スカイツリーコース)
- 高速バス 土気駅・誉田駅・鎌取駅~バスタ新宿線 (千葉中央バス)
道路・橋梁
編集- 都道
- 東京都道453号本郷亀戸線(浅草通り)
- 東京都道465号深川吾嬬町線(四ツ目通り)
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
業平一丁目 | 148事業所 | 1,149人 |
業平二丁目 | 95事業所 | 550人 |
業平三丁目 | 117事業所 | 1,184人 |
業平四丁目 | 153事業所 | 1,244人 |
業平五丁目 | 82事業所 | 547人 |
計 | 595事業所 | 4,674人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[16] | 646
|
2021年(令和3年)[15] | 595
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[16] | 4,360
|
2021年(令和3年)[15] | 4,674
|
施設
編集史跡・神社仏閣
編集その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ a b “世帯人口現況” (CSV). 墨田区 (2024年4月5日). 2024年4月6日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-2.1)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年4月1日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “業平の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 業平山南蔵院公式サイト
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 163.
- ^ 石川悌二『東京の橋-生きている江戸の歴史-』新人物往来社、1977年、308頁
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “通学区域”. 墨田区 (2022年9月1日). 2024年4月6日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
参考文献
編集- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 業平天神社」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、162-163頁。NDLJP:1174161/86。