梅本さちお
日本の漫画家
梅本 さちお(うめもと さちお、本名:梅本 幸雄[2]、1943年2月6日[2] - 1993年9月6日[2])は、日本の男性[2]漫画家、漫画原作者。高知県土佐清水市出身[3]。
うめもと さちお 梅本 さちお | |
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本名 | 梅本 幸雄 |
生誕 |
1943年2月6日 日本・高知県土佐清水市 |
死没 | 1993年9月6日(50歳没) |
職業 | 漫画家・漫画原作者 |
ジャンル | 少年漫画 |
代表作 |
『リトルの団ちゃん』[1] 『アパッチ野球軍』[1] 『くじら大吾』[1] 『とべない翼』[1] |
来歴
編集2人兄弟の末っ子として出生。父親は梅本が物心つく前に満州にて戦死。母親は病弱な体質であったという[4]。
『ボクにはボクの夢がある』(日の丸文庫)で貸本漫画デビュー[2]。佐藤まさあき[要出典]、ちばてつや[5]のアシスタントを経て、1968年、『くじら大吾』を『週刊少年ジャンプ』創刊号から連載[6][2]。その後、専属契約を嫌ってジャンプを去り[7]、1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載[2]。同作は翌年にテレビアニメ化され、ヒット作となっている[2]。そのほか、『週刊少年サンデー』(小学館)に連載された真樹日佐夫の原作による『とべない翼』などの作品を描いた[2]。
1993年9月8日、梅本が自宅アパートで倒れて亡くなっているのを親族によって発見された。50歳没。死因は脳溢血で、死亡して2日近く経過していた[8]。
作品リスト
編集連載作品
編集- 田舎の巨漢の中学生が上京し、廃止の危機にある夜間中学を守る[10]。
- 忍者太閤記 戦国NO.1(原作:福本和也、『少年ブック』1968年2月号 - 8月号) - 作画担当
- 流星球団(原作:福本和也、『少年ブック』1968年9月号 - 1969年4月号(最終号)) - 作画担当
- 爆発野郎(『週刊少年ジャンプ』1969年1号 - 14号)
- 挑戦者ケーン(『週刊少年ジャンプ』1969年15号 - 24号)
- 荒っくれ!(『週刊少年ジャンプ』1969年25号 - 1970年15号)
- 一匹のおれ(原作:辻真先、『週刊少年サンデー』1970年15号 - 20号) - 作画担当
- とべない翼(原作:真樹日佐夫、『週刊少年サンデー』1970年25号 - 1971年17号) - 作画担当
- アパッチ野球軍(原作:花登筺、『少年キング』1970年35号 - 1972年26号) - 作画担当
- 真紅のボウラー(『週刊少年チャンピオン』1971年31号 - 1972年41号)
- ばくろう(『少年キング』1972年34号 - 1973年3号)
- 青春アタッカー(『週刊少年チャンピオン』1972年46号 - 1973年50号)
- リトルの団ちゃん(『月刊少年チャンピオン』1973年5月号 - 1979年3月号)
- K助の絵日記シリーズ(『少年キング』1973年12、17、21、26、31、38、44、49号) - シリーズ読切、9話から「スタンバイK助」として連載
- スタンバイK助(『少年キング』1974年1号 - 1975年17号)
- 風の番長(原作:雁屋哲、『別冊少年マガジン』1974年9月号 - 1975年1月号) - 作画担当
- そこどけ球団(『どっかんV』1977年4月号(創刊号) - 1979年1月号)
- 海男児(『月刊少年チャンピオン』1979年5月号 - 1979年11月号)
- 魔剣士 - マッケンジー -(作画:門馬もとき、『週刊少年ジャンプ』1981年20号 - 32号) - 原作担当
- 中学大リーガー(『パワァコミック』1975年 - 1976年)
- つむじ風のあいつ(『小学六年生』1970年11月号 - 1971年1月号)
- 監督くん(『小5時代』1977年度)
- あらくれ球野(『小5時代』1978年度)
- パパあにき(『小5時代』1979年度)
- たたかいの海(『中学三年コース』1973年4月号 - 1973年9月号)
- 俺はアラシ(『中学三年コース』1973年10月号 - 1974年3月号)
- どすこい大太郎(『中学三年コース』1974年4月号 - 1974年9月号)
- 荒らくれエース(『中学三年コース』1974年10月号 - 1975年3月号)
- あて馬モッサ(『リイドコミック』1977年)
- 軍隊教師(『週刊漫画ゴラク』1978年 - 1979年 シリーズ読切)
読切・短編
編集- 俺は逆転屋(『まんがジャイアンツ』1967年5月号)
- 鮫打ちエース(『少年ブック』1968年)
- 悪三匹(『少年ブック』1969年4月号ふろく)
- ああ沖縄健児隊(原作:福本和也、『週刊少年マガジン』1968年7号) - 作画担当
- 伊豆王(『週刊少年アクション』1976年2号、3号)
- 高校生ボウラー(『別冊少年チャンピオン』1971年6月号)
- さすらいのボウラー(『週刊少年チャンピオン』1970年22号)
- トツゲキー進(『週刊少年チャンピオン』1974年5号)
- 丸太にのった少年(『別冊少年マガジン』1975年3月号)
- M25やくざ作戦(原作:史村翔、『週刊少年マガジン』1976年46号) - 作画担当[11]
- 荒くれの海(『月刊少年チャンピオン』1979年4月号)
貸本
編集- 戦慄の魔弾
- 俺のでっかい夢
- 朝を呼ぶ少年達
- 地下鉄三次
- 続地下鉄三次
- 一二の三四郎
描き下ろし単行本
編集- 影武者ジャイアンツ(原作:新宮正春) - 作画担当
- ぎょうせい学参まんが歴史人物なぜなぜ事典
- まんがで読む世界の名作オペラ8巻、10巻
脚注
編集- ^ a b c d “梅本さちお”. 横山隆一記念まんが館. 2021年10月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “梅本 さちお(漫画家)”. マンガペディア. 2021年10月24日閲覧。
- ^ 王国の賢人— 高知出身の漫画家 - まんが王国・土佐(2021年8月1日閲覧)
- ^ 『挑戦者ケーン』ひばり書房(ひばりコミックス)、1970年12月1日、p.222
- ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p8
- ^ a b “ジャンプ50周年記念の復刻版、第1弾は創刊号と653万部記録号の2冊”. コミックナタリー (ナターシャ). (2017年7月15日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p9
- ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p3、p11
- ^ 1943-1993., 梅本, さちお, (昭和45). くじら大吾. 若木書房. OCLC 672732092
- ^ a b 「くじら大吾」『デジタル大辞泉プラス』 。コトバンクより2021年8月1日閲覧。
- ^ “M25やくざ作戦 - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2022年12月15日閲覧。