桂雀々

日本の落語家 (1960-2024)

桂 雀々(かつら じゃくじゃく、1960年昭和35年〉8月9日[1] - 2024年令和6年〉11月20日[2])は大阪府大阪市住吉区我孫子出身の上方落語家。所属事務所はラルテ。既婚で、一女一男あり。本名は松本 貢一(まつもと こういち)。通称「けい じゃんじゃん」。

かつら 雀々じゃくじゃく
桂(かつら) 雀々(じゃくじゃく)
結三柏は、桂米朝一門定紋である。
本名 松本まつもと 貢一こういち
生年月日 1960年8月9日
没年月日 (2024-11-20) 2024年11月20日(64歳没)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市住吉区
死没地 日本の旗 日本茨城県
師匠 二代目桂枝雀
弟子 桂優々
出囃子 新鍛冶屋
活動期間 1977年 - 2024年
活動内容 上方落語
配偶者 あり
家族 一女一男
所属 ラルテ
オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)
公式サイト 落語家・桂雀々の必死のパッチ
受賞歴
受賞歴参照

経歴

編集

大阪市立第二工芸高等学校を中退した[1]

子供の頃、母親が蒸発した。父親は博打好きで借金取りが毎日家に来ていた。生活に困って借金取りからお金を借りることもあった。後に父親も蒸発し、近所の住民の世話になったりアルバイトをしながら1人で生活をする。

1975年、中学3年生の時、関根勤清水アキラあご勇小堺一機らを輩出したTBSテレビぎんざNOW!」の『素人コメディアン道場』に「花より団子」という名で出演した。大阪弁での巧妙な喋りが人気となり勝ち抜いてチャンピオンになる。その後、渡辺プロから将来性を見込まれ誘われるが断ったという逸話がある。

1977年6月1日桂枝雀に入門した。初舞台は同年10月の名古屋雲竜ホール(現在のDIAMOND HALL)「枝雀独演会」で「浮世根問」を演じた。2005年2月19日より、一門や所属事務所の異なるメンバー6人で開催している「RG研進会」(現在は「新鋭・上方落語会」、MZ研進会に由来)発起人を務める。

「ぎんざNOW!」の縁で関根勤・小堺一機が所属する浅井企画と契約していた時期があり、TBSラジオコサキンDEワァオ!」にも度々出演し、横山ノックなどのモノマネで関根や小堺を喜ばせた。

2007年に芸能生活30周年を迎えた。それにあたり、やしきたかじんプロデュースおよび出演の『雀々十八番』をシアターBRAVA!で開催して6日間独演会が行い、上岡龍太郎桂ざこばなどが出演した。たかじんは円広志音曲漫才、また藤山直美と夫婦漫才を披露した。全公演が完売し大成功を収める。たかじんとは米朝一門がよく出入りしていた北新地居酒屋「猫八」で初めて出会う。その後、天満のマンションに一緒に住む程、親しくなる。

2010年、全国各地の地獄や閻魔にゆかりのある地域で「地獄八景亡者戯」を演じるツアーを開催した。12月12日のファイナルでは和歌山・ポルトヨーロッパで『スーパー落語』と題した高座に地獄のセットを舞台に造り白装束、三角頭巾の姿で演じる落語を披露した。

2011年10月、「大阪でやれることは全てやった。51歳をきっかけにリセットして東京で勝負したい」との想いで、活動拠点を東京に移し長年所属した米朝事務所を離れた。東京では2DKのマンションで娘と2人暮らし(妻と息子は大阪在住)をする。娘の麻生唯はタレントとして活動している。

2017年、芸歴40周年を迎えた。記念公演「地獄八景亡者戯2017」を東京国際フォーラムで開催した。特別ゲストに入門当時から親交があり落語家の先輩でもある明石家さんまが出演した。さらにシークレットゲストとして桑田佳祐が出演した。連続テレビ小説の「ひよっこ」で使われていた主題歌の「若い広場」を初披露した。

2022年現在は引き続き東京を拠点とし、お江戸上野広小路亭の「しのばず寄席」の常連演者として顔付けされ、落語芸術協会定席興行の上方落語交互枠の演者として時折顔付けされるなど、寄席にも出演していた。

2024年10月下旬に茨城県でのゴルフ場でプレー中に倒れ、緊急搬送され入院していた。その後、リハビリを経て、いったんは仕事に復帰していたが、同年11月15日に所属事務所により「持病の糖尿病により、現在入院加療中」として、年内出演予定の落語会を全て休演することが発表されていた。その後同月20日、糖尿病からの肝不全のため茨城県内の病院で死去した[2][3][4][5]。64歳没。後日、お別れの会を実施する予定としている。

人物

編集
  • 「雀々」は師匠の枝雀が最も気に入った名前とされ、上岡龍太郎曰く、『枝雀と雀々の名前を入れ替えて、枝雀自身は自らを「雀々じゃくじゃく 雀々じゃくじゃく」に改名、いつでも「こいつ、じゃくじゃくや、じゃくじゃく!」と言われたかった』とのこと。
  • 噺し方はもっさり。アホな人物や、呆れる婦人をやらせるとうまい。アクションは若干オーバーなところがあり、師匠の枝雀を髣髴とさせることがある。礼儀正しい上に大物・先輩芸能人と絡んでもひるむところがなく、大阪ではテレビタレントとしても人気が高い。
  • 学生時代から部活動で卓球部に所属していたこともあり現在でも卓球を趣味とする。東京に活動拠点を移動した後はらくご卓球クラブに加入する。他にも趣味はゴルフでプライベートで「JAK2杯」を開催している。
  • 妻同士が姉妹であるため、桂ざこばとは義兄弟(芸の関係では叔父甥になる。ざこばが枝雀の弟弟子)である。
  • 甥にJAY'EDがいる。(ざこばの妻にとっては弟、雀々の妻にとっては弟or兄の子に当たる)
  • プライベートなどでよくハンチング帽をかぶっている。これは内弟子時代にハンチングの製造工場で働いていたことに由来する。よく枝雀宅に試作品を持ち帰っていたため枝雀も愛用するようになった。
  • 首吊り自殺を図った枝雀の体を降ろしたのは雀々である。
  • 2004年度より園田学園女子大学「非言語コミュニケーション論」非常勤講師を務める。
  • 桑田佳祐サザンオールスターズ)、山下達郎と親交がある[6]
  • メンズデザイナー菊池武夫の大ファンで、原宿の明治通り沿いにある本店に足繁く通っている。

受賞歴

編集

出演

編集

テレビ

編集

ラジオ

編集

出演CM

編集

映画

編集

Web配信ドラマ

編集

舞台

編集

CD・DVD

編集
『雀々十八番』
タイトル 演目
雀々十八番 上巻 手水廻し
くしゃみ講釈
花ねじ
動物園
舟弁慶
蛸芝居
田楽喰い
不動坊
さくらんぼ
雀々十八番 下巻 手水廻し
鶴満寺
景清
代書
がまの油
仔猫
疝気の虫
子ほめ
夢八
愛宕山
『桂雀々 落語のひろば』
タイトル 演目 収録年月日 収録会場 発売年月日 発売元
落語のひろば その1 がまの油 1996年11月24日 ABCホール 1997年4月16日 東芝EMI
夢八 1996年11月8日 宝塚ソリオホール
落語のひろば その2 舟弁慶 1997年4月16日 大阪朝日生命ホール 1998年4月22日
手水廻し 1997年4月16日 大阪朝日生命ホール
落語のひろば その3 仔猫 1998年2月22日 枝雀寄席」ABCホール 2000年5月10日
猿後家 1999年4月21日 大阪朝日生命ホール
落語のひろば その4 景清 1999年11月13日 京都府立文化芸術会館 2001年8月8日
鷺とり 1999年11月4日 大阪朝日生命ホール
落語のひろば その5 八五郎坊主 1999年11月13日 京都府立文化芸術会館 2001年8月8日
鯉舟 2000年5月11日 大阪朝日生命ホール
遺言 2000年2月27日 なるお文化ホール
落語のひろば その6 動物園 2004年4月24日 西脇アピカホール 2004年7月28日
鶴満寺 2004年4月24日 西脇アピカホール
落語のひろば その7 田楽喰い 2004年5月13日 大阪朝日生命ホール 2004年7月28日
さくらんぼ 2004年5月13日 大阪朝日生命ホール
せんきの虫 2003年3月29日 東京内幸町ホール
『ええやん。』
『桂雀々独演会 地獄八景亡者戯二〇一七』
『桂雀々独演会』(竹書房・Amazonオンデマンド)
Amazonオンデマンドのサービス停止により、2021年6月4日で販売終了。

著書

編集
  • 『必死のパッチ』幻冬舎、2008年10月。ISBN 4-344-01574-6 
自叙伝。上岡龍太郎が発起人となって大阪の芸能人が集まり出版記念パーティーが開かれ、そこには“蒸発した”母親がサプライズゲストとして登場した。[8]父は既に亡くなっている。残されて遺品は外れた宝くじの券と大事に使っていた金の腕時計[9]
出版のきっかけは、酒の席で芸能レポーター井上公造に自身の生い立ちを語ったことによる。想像を絶する貧乏話に興味を持った井上が幻冬舎を紹介し、雀々自らが幻冬舎の代表取締役社長である見城徹へプレゼンテーションを行って出版が決まった。ちなみにプレゼンテーションの時間はわずか15分足らずであった。[10]

弟子

編集

現役

編集

廃業

編集
  • 桂鈴々(廃業、のちに露の都門下で露の瑞として復帰)
  • 桂草々(廃業)

非正式

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、53頁。
  2. ^ a b “桂雀々さん急死 早すぎる64歳 波瀾万丈の生きざまを笑いに 「上方落語の爆笑王」TVやドラマでも活躍”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2024年11月22日01:00). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/11/22/kiji/20241122s000413H4002000c.html 2024年11月22日閲覧。 
  3. ^ “桂雀々さん 死因は「糖尿病からの肝不全」 事務所が正式発表 早すぎる64歳…復帰かなわず”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2024年11月22日13:11). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/11/22/kiji/20241121s000413H4327000c.html 2024年11月22日閲覧。 
  4. ^ ラルテ information(公式) [@lartekouen] (2024年11月22日). "弊社所属落語家 桂雀々は、糖尿病からの肝不全により、11月20日、64歳で永眠いたしました。… (2024年11月22日13:10のツイート)". X(旧Twitter)より2024年11月22日閲覧
  5. ^ 「上方落語の爆笑王」桂雀々さん死去、64歳 10月ゴルフ場でプレー中に倒れ…一度回復に向かうも11月20日に」『サンスポ』2024年11月23日。2024年11月26日閲覧。
  6. ^ 桂雀々 35周年記念独演会「必死のパッチ5番勝負 スポニチ
  7. ^ 東京で初の冠番組
  8. ^ テレビ朝日ワイド!スクランブル』2008年12月4日放送より
  9. ^ 関西テレビごきげんライフスタイル よ〜いドン!』2008年12月24日放送より
  10. ^ 朝日放送誠のサイキック青年団』2008年10月19日放送のゲスト出演時より

出典

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集