柴崎雪次郎

日本の教育者

柴崎 雪次郎(しばさき ゆきじろう、1873年明治6年)3月13日[1] - 1929年昭和4年)8月10日[2])は、日本教育者新潟市長

柴崎雪次郎
柴崎雪次郎

経歴

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埼玉県比企郡東吉見村(現在の吉見町)出身[1]1894年(明治27年)、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業[3]高田商会勤務の後[4]1897年(明治30年)に京都府商業学校教諭となり、新潟市立商業学校教諭、1899年(明治32年)同校長を歴任した[1][3][5]1901年(明治34年)より海上運送学研究のため、イギリスフランスベルギーに留学[3]1905年(明治38年)に帰国し、神戸高等商業学校(現神戸大学)教授を務めた[3]1909年(明治42年)、長崎高等商業学校(現長崎大学)校長に転じ、1913年大正2年)まで務めた[1]。その後、外務省嘱託としてインドベトナム南洋諸島で海運・植民の調査に従事し、さらに実業に携わった[3]

1922年(大正11年)1月、新潟市長に選出され、1925年(大正14年)5月に病のため退職した[1]。同年6月、如水会理事[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e 新潟市史 1934, p. 632.
  2. ^ 死亡広告」『東京朝日新聞』第15542号1929年8月12日、8面。
  3. ^ a b c d e 人事興信録 1925, p. シ20.
  4. ^ 鵜崎鷺城『人物評論 朝野の五大閥』東亜堂、1912、p.295。
  5. ^ 日本商業学校一斑 〔本編〕
  6. ^ 官報 1925年10月27日

参考文献

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  • 『新潟市史 上巻』新潟市役所、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
公職
先代
鹿野清次郎
新潟市立新潟商業学校
1899年 - 1901年
次代
中隈仙五郎
先代
隈本有尚
長崎高等商業学校
1909年 - 1912年
次代
山内正瞭