桃月庵 雛太郎(とうげつあん ひなたろう)は、芸人の名跡。この名は、桃月庵、桃月亭、桂、柳亭などさまざまな亭号が使われている。代々音曲師や色物の芸人が名乗った名前である。
- 初代桃月庵雛太郎(生没年不詳)
- 2代目桃月庵雛太郎(生没年不詳)
- 初め2代目入船扇蔵の門で入船春の助。後に初代雛太郎の門で花太郎から雛太郎となった。
- 桃月庵雛太郎 - もう1人か2人いた模様だが、つまびらかならず。
桃月亭 雛太郎
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本名
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矢代 米作
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生年月日
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不詳年
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没年月日
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不詳年
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師匠
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五代目柳亭左楽
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名跡
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1.柳亭芝鶴 (不詳) 2.柳亭左鶴 (? - 1917年) 3.桃月庵雛太郎 (1917年 - 1930年頃)
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活動内容
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音曲師
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桃月亭 雛太郎(生没年不詳)本名:矢代 米作。
- 日露戦争に従軍し片足を失ったが、明治30年代末に戦友だった初代柳亭芝楽に拾われ入門。芝鶴を名乗り、のち明治の末に、師匠芝楽が5代目左楽を襲名したのをきっかけに左鶴となる。さらに1917年2月に桃月亭雛太郎となる。
- なまりがひどく、落語家の大成をあきらめて音曲師に転向した。追分節を得意とした。1930年頃の柳連・睦会の番付まで名前が確認できる。
柳亭 雛太郎
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本名
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斉藤 庸司
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生年月日
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1916年
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没年月日
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1956年4月1日
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師匠
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五代目柳亭左楽
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名跡
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1.柳亭要 (? - 1946年) 2.柳亭雛太郎 (1946年 - 1956年)
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活動内容
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小噺 寄席踊り 操り踊り
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柳亭 雛太郎(1916年 - 1956年4月1日)本名:斉藤 庸司。
- 最初は吉原の幇間(太鼓持ち)。
- 戦後まもなく五代目柳亭左楽の門で柳亭 要(りゅうてい かなめ)となる。
- 1946年に柳亭雛太郎と改名。
- 売り物は小噺、寄席踊り、雷門五郎をまねた袴を身にまとっての「操り踊り」。
- 戦後まで活動し、師匠左楽とともに上方の戎橋松竹に出演するなどした。