柏村武昭
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日[1] - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。 「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。
かしむら たけあき 柏村 武昭 | |
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プロフィール | |
愛称 | 柏やん |
出身地 | 日本 広島県三次市 |
生年月日 | 1944年1月1日(80歳) |
最終学歴 | 早稲田大学第一文学部 |
職歴 | 元中国放送アナウンサー |
活動期間 |
1966年 - 2001年 2009年 - |
ジャンル | バラエティ、情報 |
配偶者 | 林竹洋子 |
出演番組・活動 | |
出演中 |
『柏村武昭のだんRUNラジオ』 『お好み焼きのある風景』 『みよし観光研究所』 |
出演経歴 |
『サテライトNo.1』 『お笑いマンガ道場』 『柏村武昭のテレビ宣言』など |
柏村武昭 かしむら たけあき | |
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生年月日 | 1944年1月1日(80歳) |
出生地 | 広島県三次市 |
出身校 | 早稲田大学第一文学部 |
現職 | フリーアナウンサー・タレント |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
公式サイト | 柏村武昭の年中夢求 |
選挙区 | 広島県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2001年7月29日 - 2007年3月25日 |
婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。
略歴
編集広島県三次市出身[1]。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は、当時露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)なども所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。大学卒業後、1966年4月に中国放送(RCC)にアナウンサーとして入社した[1]。
1975年、『飛び出せ!全国DJ諸君』(地方民間放送共同制作協議会制作)でグランプリを獲得[1]。同時にニッポン放送系『オールナイトニッポン』のパーソナリティをローカル局のアナウンサーとしてはじめて担当。これをきっかけに同年8月、RCCを退社し、土居まさるの個人事務所に所属[2]。TBSのクイズ番組『あいうえゲーム 七つの文字』(同年10月 - 1976年3月)を皮切りにフリー活動を開始し、『クイズ!家族ドレミファ大賞』(『クイズ・ドレミファドン!』の前身)(フジテレビ)の司会者もつとめた。キャッチフレーズは「木へんにホワイト」。「広島のアラン・ドロンあるいは中条きよし」[要出典]を自称し、地元では人気者であった。
代表的な番組としてはRCC局アナ時代からの『サテライトNo.1』や、フリーになってからの『お笑いマンガ道場』(中京テレビ)、『柏村武昭のテレビ宣言』(広島テレビ)などがある。ちなみに、現在の妻の洋子とは、『サテライトNo.1』のアシスタントを務めていたことが縁で結婚した。
RCCラジオの『サテライトNo.1』は最高聴取率28%、平均聴取率20%超を記録[3]。その後広島テレビの『柏村武昭のテレビ宣言』は「共感」をモットーに分かりやすく製作した番組として、また広島の夕方の顔として、平均視聴率が20%強を記録。占拠率も最高54%という人気番組に成長した。この夕方のワイド番組の成功は、全国のローカル各局も注目。33局のプロジェクトチームが見学に来たという[4]。
2000年、『柏村武昭のテレビ宣言』を自主降板。翌2001年7月の参議院議員通常選挙に広島県選挙区から無所属で立候補し、初当選。当選後は自由民主党に入党し、江藤・亀井派に所属した。
2005年8月8日の参議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じるため、防衛庁長官政務官の辞表を提出したが、辞表は受理されず、罷免された。
その1年後、参議院外交防衛委員長に就任。以前からの持論であった防衛庁を防衛省に格上げする法案を委員会で可決させる。
2007年4月8日執行の広島市長選挙に、自民党の推薦を受け無所属で立候補した。これにより柏村は告示日の同年3月25日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)となった。選挙戦では得票順3位で落選した。
2009年7月から古巣RCCの『お好み焼きのある風景』でラジオ番組に復帰。
発言録
編集- 2004年4月26日の参議院決算委員会で、イラク日本人人質事件の人質救出に関する支出について、「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言した[5]。これに対して自由民主党の福田康夫官房長官と民主党の野田佳彦国会対策委員長(いずれも当時の肩書)は4月27日にこの発言を批判した[6]。これについて柏村は4月28日、テレビ朝日系『スーパーモーニング』に出演。「私は、こういう不幸な人質事件が二度と起こってはいけない。また彼らが色々な人のお陰で何とか解放されたのに、『ありがとう』とか『すいません』こういった言葉も出ない。しかも、さらに『まだイラクに残って活動したい』。さすがに小泉首相も『まだこんなことを言っているのか』とあきれ返っていたが、『私は今はイラクには渡航しないでくれという外務省の勧告を無視して出国したということは、やはり彼らは日本の方針に反している人たちではないか、という意味で反日という言葉を使いました」と反論している[7]。その後、柏村は委員長にこの発言の訂正を申し立て[5]、5月31日に「反日的」「反日」の部分が国会会議録から削除された[8]。
- 同じ4月26日の委員会では他にも、外国人犯罪についての質疑の中で中華人民共和国に言及し、「刑務所の内にも外にも人権なんてものは恐らくないんでしょう。それに比べれば日本の刑務所は楽園だ」と述べた[5]。
- 2007年3月16日の広島市長選挙討論会で「親戚縁者被爆している。平和でなきゃいけないのは当たり前。広島の市民は世界に平和を発信する恒久的な義務を負っている。しかしながら近隣諸国に常識はずれの国が出てきた場合テポドンが飛んできた場合に我々の生命財産がどうなる? それへの備えを考えねばいけない。平和を発信しなけりゃいけない。世界から核を無くさなければいけない。一生懸命頑張るが同時に座して死を待つ状態はいけない。核保有は広島市民である以上、議論もしてはいけない」と表明した[9]。
年譜
編集- 1944年(昭和19年)1月1日 - 広島県三次市に生まれる
- 1966年(昭和41年)3月 - 早稲田大学第一文学部演劇学科卒業
- 1966年(昭和41年)4月 - 中国放送に入社
- 1972年(昭和47年)5月 - 『サテライトNo.1』放送開始
- 1975年(昭和50年)4月 - 『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当
- 1975年(昭和50年)8月 - 中国放送を退社
- 1977年(昭和52年)4月 - 中京テレビ『お笑いマンガ道場』の司会に就任
- 1983年(昭和58年) - 株式会社ホワイトを設立、代表取締役に就任
- 1988年(昭和63年)3月 - 『サテライトNo.1』終了(その後1995年~1996年に復活)
- 1989年(平成元年)4月 - RSK・RCC・KRY『つないでサン局山陽路』放送開始(~1990年3月)
- 1990年(平成2年)4月 - 中国地方民放4局『柏村武昭の55ふるさと中国路』放送開始(~1992年9月)
- 1992年(平成4年)10月 - RCC・KRY・BSS『柏村武昭のサンデートライアングル』放送開始(~1994年3月)
- 1993年(平成5年)4月 - 広島テレビ『柏村武昭のテレビ宣言』のキャスターに就任
- 1994年(平成6年)3月 - 『お笑いマンガ道場』終了
- 1994年(平成6年)4月 - 『ドカンと一発!ダイナマイトステーション』放送開始(~1995年9月)
- 2001年(平成13年)3月 - 『柏村武昭のテレビ宣言』のキャスターを降板
- 2001年(平成13年)7月 - 参議院議員選挙に無所属で出馬、無党派を掲げて当選
- 2001年(平成13年)10月 - 自民党に入党
- 2004年(平成16年)9月 - 防衛庁長官政務官就任
- 2005年(平成17年)8月 - 防衛庁長官政務官罷免(郵政民営化法案反対のため)
- 2006年(平成18年)10月 - 参議院防衛外交委員長就任
- 2007年(平成19年)3月 - 広島市長選挙に立候補、参議院議員を退職(自動失職)
- 2007年(平成19年)4月 - 広島市長選挙で落選
- 2009年(平成21年)7月 - 中国放送『お好み焼きのある風景』でラジオ番組に復帰
- 2010年(平成22年)12月 - 広島エフエム放送『柏村武昭のだんRUNラジオ』放送開始
- 2013年(平成25年)9月 - 広島テレビ『テレビ派ランチ』放送開始
- 2022年(令和4年) 10月-中国放送70周年記念番組『サテライトno.1』1日限定復活放送予定
担当番組
編集現在の担当番組
編集- ラジオ
過去の担当番組
編集- テレビ
- あいうえゲーム 七つの文字(TBS・1975年10月 - 1976年3月)
- クイズ!家族ドレミファ大賞(フジテレビ・1976年4月 - 1976年9月)
- お笑いマンガ道場(中京テレビ・1977年4月 - 1994年3月)
- ミセス&ミセス(日本テレビ・1978年 - 1979年)
- サイボーグ009前夜祭 アニメでフィーバー!(テレビ朝日・1979年2月)
- TVフォーカス~NEWSだけがNEWSじゃない~(テレビ東京・1983年4月 - 1983年12月)
- 柏村武昭のテレビ宣言(広島テレビ・1993年4月 - 2001年3月)
- テレビ派ランチ(広島テレビ・2013年9月 - 2015年9月)
- みよし観光研究所(広島テレビ・2016年4月 - 2018年3月27日)[10]
- 復活!令和もお笑いマンガ道場(中京テレビ・2021年9月)
- ラジオ
- RCC〇曜ビバナイター(入社後ごく数年)
- オールナイトニッポン火曜第2部(ニッポン放送・1975年4月 - 1975年9月)[1]
- 柏村武昭と田畑達志のがんばるワイド(ニッポン放送・1976年10月 - 1977年3月)
- ナイターオフ番組として月曜日 - 金曜日の18:10 - 19:00に放送
- サンスイ・ベスト・リクエスト(FM東京)[1]
- The Radio お元気ですか土居まさるです(TBSラジオ)※夏休み中の土居まさるの代行パーソナリティを担当
- 柏ヤン・ノンノン 夜のジョッキー(TBSラジオ・1975年10月 - 1976年3月)
- 「ノンノン」とはフリーアナウンサー(元日本テレビアナウンサー)の江川範子。月曜日~金曜日の帯番組で地方局にもネットされた
- 世界のジャンプポップス
- ビクターミュージックホリデー
- 柏村武昭の土曜日ドンドン歌謡曲(中国放送・1986年 - 1988年)[1]
- 土曜午後のワイド番組。前身番組の『ふれあい土曜日』(柏村が担当)~『世の中土曜日うきうきワイド』(煙石博アナウンサーが担当)は14時~15時55分の放送だったが、本番組から放送時間が1時間繰り上がり、13時からの放送となった
- オープニングテーマはTHE SQUARE(T-SQUARE)の「OMENS OF LOVE」
- やすべぇ(大谷泰彦)の街かど中継、歌謡曲ベストテンなどのコーナーがあり、歌謡曲ベストテンのデータはTBSテレビ『ザ・ベストテン』のランキングデータに使用された
- サテライトNo.1(中国放送・1972年5月 - 1988年3月)[1]
- つないでサン局山陽路(中国放送・1989年4月 - 1990年3月)
- 柏村武昭の55ふるさと中国路(中国放送・1990年4月 - 1992年9月)
- 土曜ワイドBAOBAB(文化放送・1990年10月 - )
- 柏村武昭のサンデートライアングル(中国放送・1992年10月 - 1994年3月)
- ドカンと一発!ダイナマイトステーション(中国放送・1994年4月 - 1995年9月)
- 柏村・やすべえのサテライトNo.1(中国放送・1995年 - 1996年)
CM出演
編集著書
編集ディスコグラフィー
編集関連項目
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、51頁。
- ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 240ページ
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年6月号 67ページ「ラジパラタイムス『さよならサテライトNo.1』」
- ^ 柏村武昭のホームページ - 柏村武昭の年中夢求 より。
- ^ a b c “【自衛隊イラク派遣】 人質の邦人は「反日的分子」 柏村参院議員が相次ぎ放言”. 朝日新聞デジタル. (2004年4月26日) 2015年3月26日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2004年4月28日5面記事「福田官房長官:柏村議員の反日分子発言「不適切」
- ^ 『放送界』2004年7月 26~30ページ「特別インタビュー 柏村武昭・参院総務委理事に聞く テレビも政治もホンネでいこう!」より。
- ^ “【自衛隊イラク派遣】 議事録から2カ所を削除 自民・柏村氏の反日的分子発言”. 朝日新聞デジタル. (2004年5月31日) 2015年3月26日閲覧。
- ^ 中国新聞 2007年3月17日社会面記事
- ^ みよし観光研究所 アーカイブ 2016年4月18日 - ウェイバックマシン - 広テレ!Web
外部リンク
編集- 柏村武昭オフィシャルホームページ - ウェイバックマシン(2022年12月8日アーカイブ分)
- 柏村武昭の年中夢求 - Ameba Blog
- 柏村武昭 (takeaki.kashimura) - Facebook
- 柏村武昭公式チャンネル - YouTubeチャンネル
公職 | ||
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先代 嘉数知賢 中島啓雄 |
防衛庁長官政務官 北村誠吾と共同 2004年 - 2005年 |
次代 北村誠吾 |
議会 | ||
先代 舛添要一 |
参議院外交防衛委員長 2006年 - 2007年 |
次代 田浦直 |