板倉勝俊
板倉 勝俊(いたくら かつとし)は、江戸時代後期の大名。陸奥国福島藩9代藩主。官位は従五位下・甲斐守。重昌流板倉家第12代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明8年9月8日(1788年10月7日) |
死没 | 天保12年8月14日(1841年9月28日) |
改名 | 亥三郎(幼名)、勝俊 |
墓所 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五位下・甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 陸奥福島藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 板倉勝長、脇坂安親娘 |
兄弟 | 勝俊、勝定、演暢院、渡辺輝綱正室 |
妻 | 上杉治広娘 |
子 | 勝顕、本多成功、永井尚服、勝弘、勝敬、九鬼隆都継室、岩城隆喜正室ら |
略歴
編集先代藩主・板倉勝長の長男として誕生した。母は脇坂安親の娘。幼名は亥三郎。
文化12年(1815年)、父の死により家督を相続する。文武奨励を図り、天保4年(1833年)には物産会所と呼ばれる領内特産品専売機構を作った。江戸詰家老池田新兵衛ら反勝俊派の工作により、天保5年(1834年)隠居し、跡を長男の勝顕に譲る。天保12年(1841年)に死去した。
系譜
編集父母
正室
- 貞 - 上杉治広の娘
側室
- 杉山氏
子女