松江神社

島根県松江市の松江城跡地にある神社

松江神社(まつえじんじゃ)は、島根県松江市殿町にある神社。松江城跡地にある。

松江神社

松江神社 拝殿
(2015年9月11日撮影)
所在地 島根県松江市殿町1番
位置 北緯35度28分26.12秒 東経133度3分1.22秒 / 北緯35.4739222度 東経133.0503389度 / 35.4739222; 133.0503389 (松江神社)座標: 北緯35度28分26.12秒 東経133度3分1.22秒 / 北緯35.4739222度 東経133.0503389度 / 35.4739222; 133.0503389 (松江神社)
主祭神 主祭神・松平直政(松江松平家初代藩主)
合祀神・徳川家康東照宮
配祀神・松平治郷(松平家七代藩主)
配祀神・堀尾吉晴(松江開府の祖)
社格 県社
創建 明治10年(1877年)
地図
松江神社の位置(島根県内)
松江神社
松江神社
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由緒

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松江神社は、1877年(明治10年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政を御祭神とする楽山神社として創建された。1628年(寛永5年)、堀尾忠晴朝酌村(現・松江市西尾町)に創建した東照宮の御神霊を1898年(明治31年)に合祀し、翌1899年(明治32年)に現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めた。1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた7代藩主松平治郷と、松江開府の祖堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀し、今日に至っている。

沿革

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  • 1628年(寛永5年) - 堀尾忠晴が朝酌村西尾に東照宮を創建
  • 1877年(明治10年) - 旧松江藩川津村楽山に松平直政を御祭神として楽山神社を創建
  • 1898年(明治31年) - 堀尾忠晴が創建した東照宮と、松平直政を御祭神とする楽山神社を合祀
  • 1899年(明治32年) - 現在地の松江城山二之丸に遷座し、松江神社と改称[1]
  • 1931年(昭和6年) - 松江開府の祖堀尾吉晴と松江藩中興の明主松平治郷配祀

境内

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  • 本殿 - 1628年(寛永5年)建造
  • 通殿-1661年(寛文元年)建造
  • 拝殿 - 1661年(寛文元年)建造の権現造
  • 手水舎 - 1639年(寛永16年)建造

文化財

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田無市指定有形文化財

板絵三十六歌仙図額(絵画) - 平成9年6月26日指定

員数:36面、江戸時代に松江東照宮に伝わったもの

紫糸威二枚胴具足:附真田軍扇1柄(工芸品) - 昭和40年9月21日指定(名称変更:平成25年3月22日)

員数:1領、江戸時代、少年用、美術的価値が高い

蒔絵手箱勝軍木庵作(工芸品) - 昭和40年9月21日指定

員数:1合、江戸時代、初代勝軍木庵作、金銀を用い豪華絢爛

歌合カルタせい楽院筆(工芸品) - 昭和40年9月21日指定

員数:1箱、江戸時代、金雲引を施した絹地の札、裏書は夫君・治郷の筆による

松江城内にある施設

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観光情報

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周辺施設

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交通

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参考文献

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  • 重村俊介著『旧藩事蹟 第一巻』「松江神社」
  • 山陰新聞社編『山陰新聞号外 明治32年10月15日』「松江神社遷座式行列」1899年(明治32年)10月15日
  • 島根県内務部『島根県旧藩美蹟』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、「千鳥城修繕と松江神社移転」309〜311頁、1912年(明治45年)3月24日発行、2015年10月2日閲覧
  • 島根県著『島根県旧藩美蹟』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、「第19編第7章、千鳥城と松江神社移転」1912年(明治45年)
  • 松江神社建造物調査報告書、2021年3月松江市
  • 堀由蔵編『出雲歴史地理叢説』「松江神社の濫觴並に照高山東照宮につきて」島根評論社、1932年(昭和7年)
  • 日本城郭協会著『松江城とその周辺』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、日本城郭協会出版部、1961年(昭和36年)
  • 『ふるさと城西』「松江神社と松江郷土館」城西ふるさとづくり推進委員会、1994年(平成6年)3月
  • 島根県立盲学校編『研究集録』「松枝神社蔵百人一首についての研究」島根県立盲学校、1994年(平成6年)

脚注

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  1. ^ 島根県内務省『島根県旧藩美蹟』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、「千鳥城修繕と松江神社移転」309-311頁、1912年(明治45年)3月24日発行、2015年10月2日閲覧

関連項目

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