松本喜太郎
日本の海軍軍人、造船技術者
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松本 喜太郎(まつもと きたろう、1903年(明治36年)5月8日 - 1983年(昭和58年)5月2日)は、大日本帝国海軍の技術大佐。勲四等瑞宝章受章。
略歴
編集- 1903年(明治36年) - 三重県伊勢市大湊町生まれ。
- 旧制水戸高校卒業。
- 1928年(昭和3年) - 東京帝国大学工学部船舶工学科卒。海軍造船中尉。
- 1929年(昭和4年) - 横須賀海軍工厰造船部勤務、戦艦「金剛」第1次改装、空母「龍驤」建造などに従事。
- 1934年(昭和9年) - 海軍艦政本部勤務。「友鶴事件」、「第四艦隊事件」などの技術調査。工作艦「明石」、駆逐艦「秋月」、空母「伊吹」を設計、戦艦「大和」設計補佐などに従事。
- 1938年(昭和13年) - 東京帝国大学工学部講師。
- 1939年(昭和14年) - 海軍艦政本部造船監督官、米国出張。
- 1943年(昭和18年) - 東京帝国大学工学部助教授。
- 1945年(昭和20年) - 呉海軍工厰造船部設計主任、終戦。海軍技術大佐だった。
- 1947年(昭和22年) - 公職追放仮指定[1]。
- 1948年(昭和23年) - 大和産業株式会社設立。
- 1952年(昭和27年) - 川崎重工業株式会社技術顧問嘱託。
- 1955年(昭和30年) - 大阪大学工学部講師。
- 1965年(昭和40年) - 大和電機工業株式会社の社長に就任。
- 1983年(昭和58年) - 没。享年79。
著書
編集- 「戦艦大和 設計と建造」