松平頼多
江戸時代中期の大名。宍戸藩第4代藩主
松平 頼多(まつだいら よりな[1])は、江戸時代中期の大名。常陸国宍戸藩4代藩主。官位は従五位下・大炊頭。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保7年12月15日(1723年1月21日) |
死没 | 明和3年11月20日(1766年12月21日) |
戒名 | 慧高院殿通誉快安智洞大居士 |
墓所 | 茨城県常陸太田市の瑞龍山 |
官位 | 従五位下、大炊頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 常陸宍戸藩主 |
氏族 | 水戸徳川家支流宍戸松平家 |
父母 | 父:松平頼慶、母:実相院 |
妻 | 正室:美津 |
子 |
源之助、頼洽、美奈、喜多 養子:頼救 |
略歴
編集寛保2年(1742年)、父の死去により跡を継ぐ。明和3年(1766年)11月20日に45歳で死去。長男・頼洽と次男が早世していたため、婿養子・頼救が跡を継いだ。法号は慧高院殿通誉快安智洞大居士。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 小谷清治; 他 (1990-03-31). 友部町史編纂委員会. ed (日本語). 友部町史. 茨城県笠間市: 友部町役場