松平長煕
日本の江戸時代中期の大名。陸奥白河新田藩初代藩主松平知清三男で、美作津山藩2代藩主松平浅五郎養子。津山藩3代藩主(津山松平氏3代当主)。従四位下越前守
松平 長煕(まつだいら ながひろ)は、江戸時代中期の大名。美作津山藩3代藩主。官位は従四位下・越後守。結城秀康の玄孫にあたる。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保5年2月9日(1720年3月17日) |
死没 | 享保20年10月13日(1735年11月27日) |
改名 | 又三郎(幼名)、長煕 |
戒名 | 戒善 |
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 |
官位 | 従四位下越後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 美作津山藩主 |
氏族 | 越前松平家(太田家→津山家) |
父母 | 松平知清、本多氏 |
兄弟 | 明矩、宗矩、長煕、松平基知養女 |
子 | 長孝 |
略歴
編集享保5年(1720年)2月9日(2月29日とも)、白河新田藩主松平知清の三男として誕生。
享保11年(1726年)に従兄で美作津山藩主・松平浅五郎が嗣子無くして11歳で早世したため、急遽末期養子となり、津山藩は10万石から5万石に減らされた上で長煕が家督を継ぐことを許された。藩内では、継承直後から享保12年(1727年)にかけて「山中騒動」と呼ばれる農民一揆が発生し、事態収拾に当たって一揆側の要求を大幅に受け入れた。しかし長煕もまた、享保20年(1735年)10月13日に16歳で死去した。
跡を養子・長孝が継いだ。