松平義和
美濃高須藩第9代藩主
松平 義和(まつだいら よしなり)は、美濃高須藩の第9代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 安永5年8月14日(1776年9月26日) |
死没 | 天保3年1月15日(1832年2月16日) |
改名 | 保右→保友→義和 |
戒名 | 泰量院功誉徳岸賢翁 |
官位 | 従四位下、侍従、中務大輔、左近衛権少将 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 美濃高須藩主 |
氏族 | 水戸徳川家→高須松平家 |
父母 |
父:徳川治保、母:佐山 養父:松平義居 |
兄弟 | 徳川治紀、義和、土屋彦直、述姫(松平頼起室)、雅姫(松平頼慎室) |
妻 | 側室:平松氏、松平氏 |
子 | 義質、義建、容敬、遠藤胤昌、宣(松平直諒正室) |
水戸藩主徳川治保の次男に生まれる。母は旗本前田政英の娘・佐山。幼名は泰之丞。初め父より偏諱を受けて保右(もりすけ)、保友(もりとも)と名乗る。
生涯
編集文化元年(1804年)10月19日、松平義居の末期養子として家督を相続し、高須藩主となった。諱を義和に改める。同年12月15日、第11代将軍徳川家斉に御目見した。同年12月18日、従四位下・侍従・兼中務大輔に叙任される。
文化2年(1805年)12月28日、左近衛権少将に任官される。天保3年(1832年)正月15日、57歳で死去した。家督は次男の義建が継いだ。