松平清善

竹谷松平家当主

松平 清善(まつだいら きよよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将松平親善の長男。通称、與二郎、玄蕃允、備後守。竹谷松平家4代当主。

 
松平清善
松平清善像(天桂院蔵)
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正2年(1505年
死没 天正15年5月23日1587年6月28日
別名 通称:與二郎、玄蕃允、備後守
主君 徳川家康
氏族 竹谷松平家
父母 父:松平親善
清宗石川家成正室、女子
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略歴

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永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、今川義元が討ち死にすると徳川家康に従い、今川氏から離反したため、人質として差し出していた娘は殺害された。永禄元年(1558年)に家康より、丸子城の守備を命じられる。永禄5年(1562年)に鵜殿長照の居城・上ノ郷城を攻め落として功績を立てた。元亀3年(1572年)、遠江国宇津山城番となる。

天正15年(1587年)に死去。享年82。

脚注 

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