松崎 壽三(まつざき としぞう、1870年4月10日(明治3年3月10日[1]) - 1960年昭和35年)11月25日[2])は、明治後期から昭和前期の官僚実業家。初代日本水産社長。

まつざき としぞう

松崎壽三
生誕 1870年4月10日
日本の旗 日本山口県
死没 (1960-11-25) 1960年11月25日(90歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 旧制山口高等学校(現・山口大学)卒業
帝国大学法科大学卒業
職業 農商務省農務局
同省水産局長
初代日本水産社長
任期 1895年 - 1917年(農商務省)
1919年 - 1933年(日本水産社長)
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経歴

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山口県出身[3]。松崎源左衛門の長男として生まれた[1][4]旧制山口高等学校卒業[3]1895年明治28年)帝国大学法科大学(現:東京大学法学部)政治学科を卒業[3][4]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し[3]、同年農商務省に入省し農務局属に任官[3]。以後、水産講習所技師兼農商務省参事官、農商務書記官兼特許局審判官兼樺太庁事務官、農商務書記官・水産局漁政課長、水産局長などを歴任[1]1917年大正6年)に退官した[3]

1919年(大正8年)9月27日、「共同漁業株式会社」(現・日本水産)の社長として就任[5]1926年(大正15年)3月、共同漁業取締役社長及び日本水産監査役。1934年昭和9年)同社相談役。1960年(昭和35年)11月25日死去[6][7][8]

当時の事業

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  • 当時、資本金百万円を元に本社は大阪、全国各地に10ヶ所の販売所、20ヶ所の出張所を設置し、水産物の販売に従事。共同水産は資本金百万円として、東京に本社を置く。戸畑魚市場に関しては、資本金30万円にて戸畑に本社を構える。三共水産に関しては、資本金50万円として東京に本社を置き、冷凍魚介を欧米各国に輸出した、とされている[7]
  • 1919年5月、日本水産の前身である田村汽船漁業部が株式会社となり、日本トロールに改称していた。

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』ま58頁。
  2. ^ [1] 渋沢社史データベース、1960年の項
  3. ^ a b c d e f 『日本官僚制総合事典1868-2000 第2版』175頁。
  4. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』マ41-42頁。
  5. ^ 日本水産(株)『日本水産50年史』(1961.05) 渋沢社史データベース、1919年の項
  6. ^ 片岡千賀之, 亀田和彦「汽船トロール漁業の発展と経営」『長崎大學水産學部研究報告』第94号、長崎大学水産学部、2013年3月、29-55頁、hdl:10069/34805ISSN 0547-1427 
  7. ^ a b 高宇「資本制漁業と中央卸売市場の成立(上) : 日本水産の場合」『立教經濟學研究』第56巻第2号、立教大学、2002年10月、75-99頁、doi:10.14992/00002843ISSN 00355356 
  8. ^ 神戸で育った共同漁業生立の記 神戸新聞 1934年2月26日

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000 第2版』東京大学出版会、2007年。