東ソー
東ソー株式会社(とうソー、英: TOSOH CORPORATION)は、日本の大手総合化学メーカー。本社は東京都中央区にあるが、登記上の本店は山口県周南市(旧・新南陽市)。旧社名は東洋曹達工業。東京証券取引所プライム市場上場。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]。
東ソー本社が入居する八重洲セントラルタワー | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 監査役会設置会社 |
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒104-0028 東京都中央区八重洲2-2-1 八重洲セントラルタワー |
本店所在地 |
〒746-8501 山口県周南市開成町4560 |
設立 | 1935年2月11日 |
業種 | 化学 |
法人番号 | 5250001010002 |
事業内容 | 基礎原料事業、石油化学事業、機能商品事業 |
代表者 |
代表取締役社長兼社長執行役員 桒田守 代表取締役兼専務執行役員 安達徹 |
資本金 | 552億円 |
売上高 |
連結:1兆643億7,600万円 単体:7,460億8,800万円 (2023年3月期) |
営業利益 |
連結:746億600万円 単体:349億5,300万円 (2023年3月期) |
経常利益 |
連結:899億8,300万円 単体:544億300万円 (2023年3月期) |
純利益 |
連結:503億3,500万円 単体:334億9,500万円 (2023年3月期) |
総資産 |
連結:1兆1,942億5,100万円 単体:7,697億5,700万円 (2023年3月期) |
従業員数 |
連結:14,266名 単体:3,846名 (2023年3月31日現在) |
決算期 | 3月末 |
会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人 |
主要株主 |
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.68% 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 5.25% みずほ銀行3.67% 三井住友海上火災保険2.75% |
主要子会社 | 関連会社参照 |
関係する人物 |
岩瀬徳三郎(創業者) 山口敏明(元社長) 田代圓(元社長) 土屋隆(元社長) 宇田川憲一(元社長) |
外部リンク | https://www.tosoh.co.jp/ |
同社の企業メッセージは「明日のしあわせを化学する」である[2]。
同名のインテリア用品製造業のトーソー(株)(初代社名:東京装備工業株式会社)とは関係は一切ない。
概要
編集苛性ソーダ、塩化ビニルモノマー(VCM)、ポリウレタンといった「ビニル・イソシアネート・チェーン」事業に加え、石油化学事業(オレフィン、ポリエチレン、合成ゴム等)や機能商品事業(無機・有機ファイン製品、計測・診断製品、スパッタリングターゲット、電解二酸化マンガン、ジルコニアセラミックス、石英ガラスなど)をコアとして事業展開を行っている。
南陽事業所は、単一工場としては日本最大規模となる敷地面積(300万m2)と自家発電設備(825,000kW)を有し、周南コンビナートの中核をなしている。
設立当初から日本興業銀行(現・みずほ銀行)と関わりが深く、4代目から7代目の社長は同行の出身者だった。
塩ビモノマーの生産能力は、後述の爆発事故以前の2011年時点で120万トン(日本国内の3割強)を占めていた[3]。
沿革
編集- 1935年 - 日本曹達工業(現・トクヤマ)を退社した岩瀬徳三郎らによって、山口県都濃郡徳山町(現・周南市)の岩瀬宅に東洋曹達工業株式会社設立。
- 1936年 - 都濃郡富田町(現・周南市)で南陽工場操業。
- 1971年 - 四日市工場操業。
- 1975年 - 山形県酒田市を地盤とする株式会社鐵興社と合併。
- 1983年 - 旧鐵興社の酒田、石巻工場を分離して東北東ソー化学株式会社を設立。
- 1987年 - 東ソー株式会社に社名変更。
- 1990年 - 新大協和石油化学株式会社と合併。
- 1996年 - 塩化ビニル樹脂事業を分離し、東ソー・三井東圧化学(現・三井化学)・電気化学工業(現・デンカ)の共同出資による大洋塩ビを設立。
- 2014年 - 日本ポリウレタン工業と合併。
- 2020年 - 山形市にある存続が危ぶまれる事態となっていた複合文化施設「シベールアリーナ」の命名権を取得。名称が「東ソーアリーナ」となる[4]。
- 2024年 - 東京本社を八重洲セントラルタワーに移転予定。
事業所
編集支店・営業所
編集事業所・事務所
編集研究所・技術センター
編集社長
編集代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 出身母体 |
---|---|---|---|---|
初代 | 岩瀬徳三郎 | 1935 - 1944 | 九州帝国大学 | 日本曹達工業(創業者) |
第2代 | 別府良三 | 1944 - 1944 | 海軍機関学校 | 海軍燃料廠 |
第3代 | 今井富之助 | 1944 - 1947 | 東京帝国大学 | 三井化学工業 |
第4代 | 貞永敬甫 | 1948 - 1952 | 東京帝国大学 | 日本興業銀行 |
第5代 | 二宮善基 | 1954 - 1968 | 東京帝国大学 | 日本興業銀行 |
第6代 | 青木周吉 | 1968 - 1979 | 東京帝国大学 | 日本興業銀行 |
第7代 | 森嶋東三 | 1979 - 1984 | 東京帝国大学 | 日本興業銀行 |
第8代 | 山口敏明 | 1984 - 1992 | 一橋大学 | 生え抜き |
第9代 | 田代圓 | 1992 - 2001 | 東京大学 | 生え抜き |
第10代 | 土屋隆 | 2001 - 2009 | 東京工業大学 | 生え抜き |
第11代 | 宇田川憲一 | 2009 - 2016 | 東京工業大学 | 生え抜き |
第12代 | 山本寿宣 | 2016 - 2022 | 神戸大学 | 生え抜き |
第13代 | 桒田守 | 2022 - | 大阪大学 | 生え抜き |
事故
編集2011年11月13日15時24分頃、当社南陽事業所(山口県周南市関成町)第2塩ビモノマープラントで、塩ビモノマーなどを抜き出す作業中に爆発事故が発生した。火災により塩化水素ガスが漏れたため、周南市、下松市の住民には屋内待機が呼びかけられた[5][6]。爆発事故により、規制値の155倍にあたる二塩化エタンを含む排水が海に流出した[7][8]。また、この事故で男性社員1人が死亡した。事故で焼けた設備の再建には100億円単位が必要となる見通しが明らかにされている[9]。11月25日、事故調査対策委員会が東ソーにより設置された[10]。
その後、東ソー南陽事業所内に爆発で吹き飛んだプラント設備の一部がモニュメントとして置かれている。
関係会社
編集2015年3月末時点の子会社及び関連会社数は121社である[11]。
主な連結子会社
編集- 東北東ソー化学
- 東ソー・ファインケム
- 東ソー・シリカ
- 東ソー物流
- オルガノ - ※水処理装置トップ
- 大洋塩ビ - ※塩化ビニル樹脂の製造
- プラス・テク
- 太平化学製品
- 東ソー・クォーツ
- 東ソー・ゼオラム
- 東ソー・テクノシステム
主な持分法適用関連会社
編集脚注
編集- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “理念|会社情報|東ソー”. www.tosoh.co.jp. 2022年1月6日閲覧。
- ^ “東ソー爆発事故、塩ビ生産に影響”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月15日). オリジナルの2011年11月16日時点におけるアーカイブ。 2011年12月4日閲覧。
- ^ “東ソーが命名権取得 「シベールアリーナ」存続”. 日本経済新聞 (2020年4月3日). 2020年4月9日閲覧。
- ^ “山口の化学工場で爆発 1人不明 周辺住民屋内待機”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月13日). オリジナルの2011年11月13日時点におけるアーカイブ。 2011年12月4日閲覧。
- ^ “爆発事故の東ソー社長「大変申し訳ない」と謝罪会見”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月14日). オリジナルの2011年11月15日時点におけるアーカイブ。 2011年12月4日閲覧。
- ^ “規制超える排水徳山湾に流れる、東ソー工場爆発事故 : 最新ニュース特集 : 九州発”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年11月19日). オリジナルの2011年11月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “東ソー工場爆発:社長が知事に謝罪「安全と信頼取り戻したい」”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年12月3日) 2011年12月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “東ソー爆発事故 再建費は100億円単位 社長が会見”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年11月15日). オリジナルの2012年7月28日時点におけるアーカイブ。 2011年12月4日閲覧。
- ^ “東ソー、爆発火災事故で調査対策委を設置”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月25日). オリジナルの2011年11月26日時点におけるアーカイブ。 2011年12月4日閲覧。
- ^ 『第116期有価証券報告書』,東ソー株式会社
関連項目
編集- 高杉良 - 小説『バンダルの塔』では、東洋曹達工業(当時)からイラン・ジャパン石油化学会社(IJPC)に出向する社員が登場する。
- イラン・ジャパン石油化学会社 - 1970年代に三井物産・東洋曹達工業などが出資してイランに巨大な石油化学コンビナートの建設工事が進められたが、1979年のイラン革命、1980年のイラン・イラク戦争により計画は頓挫し、東洋曹達工業の経営悪化を招いた。