杉田伯元

江戸時代後期の蘭方医

杉田 伯元(すぎた はくげん、1763年9月14日宝暦13年8月7日)- 1833年7月8日天保4年5月21日))は、江戸時代後期の蘭方医である[1][2]。旧姓は建部、名は勤もしくは公勤[1][2]。号は紫石、牆東居士[1][2]。字は士業[1][2]。幼名は亮策[2]

経歴・人物

編集

一関藩医の建部清庵の子として生まれる[1][2]。16歳の頃に大槻玄沢らと共に杉田玄白の門下となり[1][2]、後に養子となり杉田姓に改姓した[2]。その後小浜藩医となり[2]1789年寛政元年)には玄白の娘である扇と結婚し[2]、家業を継いだ[1]1809年文化6年)には江戸幕府の命により[2]オランダ地理書を幕府に献じた事で[2]、給料として銀20枚を受け取った[2]

主な著作物

編集
  • 『和蘭医事問答』- 玄沢との編集[1]。元は実父の清庵、養父の玄白が共同で執筆した往復書簡[1]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i 杉田伯元”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 杉田伯元”. 日本大百科全書(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月2日閲覧。

外部リンク

編集