杉浦勝吉
杉浦 勝吉(すぎうら かつよし)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。松平氏・徳川氏の家臣。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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死没 | 慶長16年12月9日(1612年1月11日) |
別名 | 八郎五郎 |
戒名 | 道喜 |
墓所 | 燈明寺(神奈川県横浜市) |
主君 | 松平広忠、徳川家康 |
氏族 | 和田氏支族杉浦氏 |
父母 | 杉浦吉貞 |
兄弟 | 勝吉、勝重 |
妻 | 筧重成の娘 |
子 | 杉浦勝次室 |
生涯
編集松平広忠に仕え、その没後の弘治元年(1555年)蟹江城の戦いで父吉貞らとともに奮戦し、蟹江七本槍の異名をとった。弘治2年(1556年)福谷城の戦いでは援軍として駆けつけて織田軍を撃退した。永禄2年(1559年)大高城兵糧入れでは斥候を務め、敵勢の動きを看破して味方の進軍を進言し、兵糧入れを成功に導いた。永禄6年(1563年)三河一向一揆の蜂起では父や大久保忠俊一門らとともに上和田砦に籠城して針崎一揆と戦った。以後、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどで活躍。天正19年(1591年)相模鎌倉郡小雀に300石を与えられ、晩年はこの地に隠棲した。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第525