本間千代吉 (初代)
初代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、1857年1月15日(安政3年12月20日[1][2]) - 1917年(大正6年)2月26日[3])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・源四郎、名・応家[4][5]。
本間千代吉 ほんま ちよきち | |
---|---|
生年月日 | 安政3年12月20日(1857年1月15日) |
出生地 | 日本 上野国佐位郡市場村(現群馬県伊勢崎市) |
没年月日 | 1917年2月26日(60歳没) |
子女 | 養子・2代本間千代吉(貴族院議員) |
親族 | 弟・本間三郎(衆議院議員) |
在任期間 | 1897年9月29日 - 1911年9月28日 |
佐波郡会議員 | |
経歴
編集本間千五郎応次[4]、たに子の二男[4][5]として上野国佐位郡市場村(赤堀村、赤堀町を経て現伊勢崎市)に生まれる[1]。佐渡国の戦国武将、本間高統の後胤[1]。幼少期に文学に目覚め、足立春英に漢学などを学ぶ[6]。慶応元年7月(1865年)亡兄十四松の跡を継いだ[2]。1880年(明治13年)市場村外五箇村戸長に就任[7]。ついで連合村会議員を経て[3]、1885年(明治18年)3月、最多票数を獲得し佐位郡選出の群馬県会議員となる[7]。1887年(明治20年)12月、満期退職後[7]、佐波郡会議員、同参事会員などを歴任した[3]。
1897年(明治30年)群馬県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[8]から1911年(明治44年)9月28日まで2期在任した[3]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 山中啓一『群馬県貴族院多額納税者列伝』山中啓一、1890年 。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。