本田小百合
日本の将棋棋士
本田 小百合(ほんだ さゆり、1978年10月3日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。茨城県水戸市出身。茨城県立佐和高等学校卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。女流棋士番号14(2011年3月31日までは30)。
本田小百合 女流三段 | |
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名前 | 本田小百合 |
生年月日 | 1978年10月3日(46歳) |
プロ入り年月日 | 1992年4月1日(13歳) |
女流棋士番号 | 14 |
出身地 | 茨城県水戸市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 佐瀬勇次名誉九段 |
段位 | 女流三段 |
女流棋士DB | 本田小百合 |
2019年5月1日現在 |
棋歴
アマチュア時代
- 3 - 4歳の頃、駒遊びをしながら父親に教わったのが、将棋を始めたきっかけである。
- 1988年に10歳で出場した第2回女流アマ王将戦で優勝。同年第20回女流アマ名人戦で3位。1990年には12歳で出場した第15回小学生将棋名人戦でベスト8になるなど、「水戸の天才少女」と呼ばれた。
- 1990年に女流育成会入会し、2年後の1992年4月に13歳で女流2級としてデビュー。
女流プロ入り後
- リーグ戦形式である女流名人位戦のA級リーグには2001年からの13年間で9期、女流王位戦の挑戦者決定リーグでは1992年のデビュー以来27年間で22期在籍している。
- 一方でレディースオープントーナメントでは1992年から棋戦終了の2006年までの参加した15年間で11回が予選敗退、本戦に進出した残りの4回も1回戦で敗退している[1]。また続くマイナビ女子オープンでも第5期から第7期の一斉予選で3年連続1回戦敗退を喫し、2013年の第8期ではチャレンジマッチからの出場になった。
- 2009年の第17期倉敷藤花戦では、挑戦者決定戦まで勝ち残った。
- 2012年の第2期女流王座戦の本戦トーナメントで伊藤沙恵、上田初美、中村真梨花を破って勝ち上がり、9月の挑戦者決定戦でも里見香奈女流四冠に勝利し、プロ入り21年目にして初めてタイトルに挑戦した[注釈 1]。10月からの加藤桃子女流王座との五番勝負ではストレート負けを喫し、タイトル獲得を逃した。
- 2012年9月26日に第24期女流王位戦予選で熊倉紫野女流初段を破り女流三段に昇段。
- 翌2013年の第3期女流王座戦の挑戦者決定戦でも本戦トーナメントを勝ち進み、再度里見香奈女流四冠と対戦。終盤で勝勢まで築くが最終盤で痛恨のミスがあり逆転負けした。この時感想戦は何とかこなしたものの、2日間涙が止まらなかったという[2]。
- 2016年3月から8月まで休場[3]。そのため、第27期女流王位戦の挑戦者決定リーグを白組5戦中4戦までで全勝としながら、挑戦者決定戦に進出できなかった(不戦敗を含めて4勝1敗となりリーグ残留)。
- 2017年の第28期女流王位戦の挑戦者決定リーグで5戦全勝で紅組優勝。挑戦者決定戦では伊藤沙恵に敗れた。
人物
昇段履歴
脚注
注釈
出典
- ^ “ファンの期待にそえるよう 気合を入れて臨みたい”. マイナビ (2007年10月3日). 2019年5月5日閲覧。
- ^ 『透明の棋士』(ミシマ社、2015年)
- ^ “本田小百合女流三段、休場のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2016年2月29日). 2016年9月6日閲覧。
- ^ 女流棋士発足25周年記念親睦将棋会
- ^ 子供将棋スクール 2006年10月1日
- ^ “本田小百合女流三段が「水戸大使」に|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2023年12月13日閲覧。
- ^ “4年ぶりの任命、水戸大使に4人と1組/茨城 女流棋士・本田さんやお笑いコンビ「すいたんすいこう」(茨城新聞クロスアイ)”. LINE NEWS. 2023年12月13日閲覧。
- ^ 『近代将棋 1999年7月号』近代将棋社、166頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション 収蔵
- ^ 「棋士の昇段など(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2004年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「本田小百合女流二段が女流三段に昇段」『日本将棋連盟』2012年9月27日。