末木達男
日本の政治家
末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日[1] - 2015年8月17日[2])は、日本の政治家、東京都田無市長(4期)、田無市議会議員(5期)。
末木達男 すえき たつお | |
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生年月日 | 1931年2月4日 |
出生地 |
日本 山梨県北巨摩郡須玉町 (現・山梨県北杜市) |
没年月日 | 2015年8月17日(84歳没) |
出身校 |
山梨県立峡北高等学校卒業 (現・山梨県立北杜高等学校) |
前職 | 国鉄職員 |
現職 | アスタ西東京会長 |
称号 | 勲三等瑞宝章 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1985年5月11日 - 2001年1月21日 |
田無市議会議長 | |
当選回数 | 5回 |
来歴
編集山梨県北巨摩郡須玉町(現在の北杜市)出身[2]。山梨県立峡北高等学校(現・山梨県立北杜高等学校)卒[1]。卒業後は日本国有鉄道に入り、八王子機関区に勤務する[2]。のちに田無町に移り、1963年に田無町議会議員に初当選[2]。以後、市制施行(1967年)を挟んで連続5期務め[1][2]、議長を務めた[3][注釈 1]。その後、田無市助役を経て[1][2]、1985年、田無市長に当選した[1][2]。
1993年田無市長選挙
編集1993年4月25日に行われた市長選挙に立候補して、新人を破って3選を果たした[5]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:34.34%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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末木達男 | 62 | - | 現 | 14,106票 | 74.9% | - |
酒井一磨 | 54 | - | 新 | 4,720票 | 25.1% | - |
1997年田無市長選挙
編集1997年4月20日に行われた市長選挙に立候補して、新人2人を破って4選を果たした[6]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:36.52%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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末木達男 | 66 | - | 現 | 12,237票 | 58.6% | - |
金成文夫 | 47 | - | 新 | 5,461票 | 26.1% | - |
朱通守男 | 50 | - | 新 | 3,184票 | 15.2% | - |
2001年、田無市は保谷市と合併し、西東京市となった。合併後の市長選挙に立候補したが、旧保谷市長の保谷高範に敗れた[1]。なお、田無市長時代より、田無駅北口再開発の基幹施設であるアスタビルを管理運営する田無都市開発株式会社(現・株式会社アスタ西東京)の代表取締役社長を務めていたが、落選後も続投した(その後、代表取締役会長となる)。2001年時点で同社の株式の80%を市が保有していたため、市議会では市長の保谷高範が社長に就任すべきか否かが議論された[注釈 2]。2015年6月、体調不良のためアスタ西東京代表取締役会長を退任。同年8月、84歳で死去した[2]。
栄典
編集著書
編集- 『上農人生まっしぐら』2001年
- 『分権時代の街づくり』文芸社、2004年
出典
編集注釈
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』276頁。
- ^ a b c d e f g h 北嶋孝ひばりタイムス編集長。旧保谷市時代から西東京市在住50年余。共同通信社を2004年に離れフリーに。小劇場レビューマガジン「ワンダーランド」編集長などを経て2015年2月「ひばりタイムス」創刊。. “元田無市長の末木達男氏死去 – ひばりタイムス”. 2024年7月13日閲覧。
- ^ 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1001頁。
- ^ 『全国建築設計事務所手帖 1979』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『月刊社会党 (456)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『社会民主 (505)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “閲覧 | 西東京市議会会議録検索”. www.city.nishitokyo.tokyo.dbsr.jp. 2024年7月13日閲覧。
参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。