木村清治
木村 清治(きむら せいじ、1870年9月10日(明治3年[注釈 1]8月15日[1])- 1961年(昭和36年)1月25日[2][3])は、明治から昭和前期の医師、政治家、実業家。衆議院議員。
経歴
編集陸奥国磐前郡、のちの福島県[3]磐前郡大浦村(石城郡大浦村[2][4]、四倉町を経て現いわき市四倉町)で、木村玄策の二男として生まれる[5]。1890年(明治23年)済生学舎(現日本医科大学)を卒業[2]。医術開業試験に合格し[4]、1893年(明治26年)に帰郷して医院を開業した[2][3]。
1911年(明治44年)福島県会議員に選出され3期在任し[2]、同参事会員も務めた[3][4]。大浦村会議員、石城郡会議員にも在任した[3][4]。1928年(昭和3年)2月、第16回衆議院議員総選挙(福島県第3区、立憲政友会公認)で初当選し[2][6][7]、1930年(昭和5年)2月の第17回総選挙(福島県第3区、立憲政友会公認)でも再選され[2][8]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4]。
実業界では、平銀行常務取締役、大浦信用組合長、四倉銀行取締役、平製氷取締役、磐城セメント監査役などを務めた[3][4][5][6]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『福島県史 第22巻』167頁では明治4年。